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「浅井長政」は何をした人?どんな人物?年表・娘・最後・エピソードまとめクイズ問題

浅井長政
この記事を通じてわかること
歴史博士
浅井長政は何をした人なのか、そしてどういう人物だったのか。浅井長政の歴史や生涯をわかりやすく解説し、クイズ問題にしています。解説のあとに、4択クイズ穴埋めクイズがあるので挑戦してみて下さい。
助手ねこ
クイズに答えながら、浅井長政について楽しく学んでいけるで〜♪

「浅井長政」は何をした人?したことを簡単に解説

浅井長政像 (高野山持明院像)
浅井長政像 (高野山持明院像) 画像出典:wiki
歴史博士
まずは浅井長政が何をした人なのかをわかりやすく簡単に説明するね。
助手ねこ
よっしゃ!浅井長政が何をした人なのかを簡単に知っとこう!ほないくで〜♪

浅井長政あざいながまさは、1545年に近江国(現在の滋賀県)で生まれた戦国時代の武将です。幼名は猿夜叉丸さるやしゃまるといい、浅井家の三代目当主でした。

浅井長政の祖父、浅井亮政あざいすけまさは、北近江の京極氏に仕えていましたが、後継者争いに乗じて土地を支配するようになります。

しかし浅井長政の父、浅井久政あざいひさまさ六角義賢ろっかくよしたかに敗れたため、浅井家は六角氏に従属するようになりました。

15歳で家督を相続した浅井長政は、六角氏の圧力により、六角義賢から「賢」の一字をもらい、浅井賢政あざいたかまさと名乗らされました。

六角氏に不満を抱いた浅井長政は反旗をひるがえします。

この出来事が「肥田城ひだじょうの水攻め」と「野良田のらだの戦い」につながり、野良田の戦いでの勝利後、父を隠居させ、浅井長政に改名しました。

その後、織田信長と同盟を結び、信長の妹であるお市の方と結婚します。

これにより、織田信長との関係を深めました。

しかし、浅井長政は朝倉義景との古い縁と信長との同盟の間で板ばさみになります。

1570年、織田信長が朝倉義景あさくらよしかげを討伐するために越前に進軍した際、浅井長政は突如として信長に反旗をひるがえし、義景を支援しました。

この行動は、織田家との同盟関係を決定的に断ち切り、両者の間に敵対関係を生じさせます。

その結果、同年に発生した姉川の戦いでは、織田信長と徳川家康の連合軍と戦い、敗退を喫しました。

浅井長政は織田信長に抵抗し続けましたが、1573年に信長の軍勢によって小谷城おだにじょうが包囲されます。

この時、浅井長政は城内に篭城ろうじょうし、激しい抵抗を見せましたが、最終的には敗北を認めざるを得ませんでした。

城が陥落する直前、浅井長政は家族と信頼できる家臣たちを安全な場所へと送り出し、最後は自刃して命を終えました。

「浅井長政」の年表(生涯)

歴史博士
年表を使って、「浅井長政」の歴史や生涯を見てみましょう。
年代 出来事の概要 詳細な説明
1545年 誕生 近江国(現滋賀県)で生まれる。幼名は猿夜叉丸。
1560年 家督相続 六角氏の圧力により、六角義賢から「賢」の一字をもらい、浅井賢政と名乗る。不満を持ち、後に反旗をひるがえす。
1560年 野良田の戦い 11,000兵の長政軍が25,000兵の六角軍を破り、勝利。父を竹生島へ追放し、家督を相続。
1567年 織田信長との同盟 織田信長の妹、お市の方との結婚を条件に同盟を結ぶ。信長は結婚費用を全て負担。
1570年 朝倉義景との関係 織田信長との同盟にも関わらず、朝倉義景への忠誠を選択し、信長に反旗をひるがえす。
1570年 姉川の戦い 織田信長を裏切り、朝倉軍に加わる。一時は信長を退却させるが、最終的には敗れる。
1573年 小谷城の戦い 浅井長政の本拠地、小谷城が囲まれ、織田信長による降伏勧告を拒否し、自害する。享年29歳。
助手ねこ
ここからは「浅井長政」について深く知るためにさらなる解説歴史クイズ問題のスタートやでぇ〜!ワイは歴史めっちゃ好きやねん!楽しみやわ〜♪

「浅井長政」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「浅井長政」がどんな人物なのか、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

浅井長政は、近江国おうみのくにを拠点とし、戦国時代に活躍した武将です。

1545年に、浅井あざい久政ひさまさの長男として産まれました。

幼少期からの苦労は多く、家族は六角義賢ろっかくよしかたの支配下にあったため、厳しい状況の中で育ちました。

しかし、その逆境を乗り越え、野良田のらだの戦い猿夜叉丸さるやしゃまる(浅井長政の幼名)は16歳で六角義賢を破り、浅井家を独立させる力を見せつけました。

1567年には織田信長の妹であるいちの方と結婚し、織田家との同盟を強化しました。

政略結婚でしたが、2人は戦国時代を代表する美男美女としても知られています。

しかし、この同盟関係は長くは続きませんでした。

1570年に織田信長が浅井家との約束を破り、浅井家が同盟していた朝倉氏を攻撃したことで関係は一変します。

浅井長政は朝倉氏との古い繋がりを重んじ、織田信長に対抗する道を選びました。

この決断は、浅井家の家臣たちの支持を受け、朝倉氏と共に織田信長に立ち向かいましたが、最終的には敗北し、29歳の若さで自刃することとなりました。

浅井長政は、父の浅井久政を尊重し、家臣や同盟者との約束を守ろうとする姿勢から武勇に優れ、信義を重んじる武将であることが分かります。

浅井長政はどんな人物クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
浅井長政が野良田の戦いにおいて16歳で破った相手は誰でしょうか?

ヒント
当時、浅井長政は幼名である「猿夜叉丸」を名乗っており、この戦いの勝利は浅井家を独立へと導きました。
  • A.  六角義定
  • B.  六角義治
  • C.  六角義賢
  • D.  六角定頼
解答(男性)
正解C.  六角義賢

 

【穴埋めクイズ問題】

浅井長政は1545年に生まれ、若くして( ① )に勝利し、浅井家を独立させた戦国時代の武将です。織田信長の妹である( ② )との結婚を通じて織田家と同盟を結び、美男美女としても知られました。しかし、信長が( ③ )氏を攻撃したことで同盟は破綻し、( ③ )氏への忠誠から信長に反旗をひるがえしました。最終的には戦いに敗れ、29歳で自刃しました。浅井長政は家族や同盟者への深い忠誠心を持ち、信義を重んじる人物でした。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①六角義賢
②お市の方
③朝倉

 

浅井長政の歴史クイズ(索引)

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