「今川義元」の家系図(子孫)とは?わかりやすい解説とクイズ問題
今川家は、戦国時代を代表する武家であり、清和源氏、河内源氏、足利氏から分かれた吉良家の分家として位置づけられます。
家系の始祖である今川国氏が今川の地を与えられ、その名を称し始めたのが起源です。
今川義元の父、今川氏親は今川家第7代当主で、今川家を戦国大名に押し上げた中心人物です。
今川氏親は北条早雲の助けを借りて家督争いに勝利し、遠江国を制しました。
今川家の全盛期を支えたのは今川氏親の正室(正室:身分が高い家の本妻)、寿桂尼で、公家出身であり、今川家が戦国大名として発展することに尽力しました。
今川義元の兄、今川氏輝は第8代当主として家督を相続しますが、寿桂尼が政務を務めていました。
今川氏輝は若くして亡くなり、その後、今川義元が家督を継ぎます。
今川義元自身は、1519年に生まれ、今川家第9代当主となりました。
今川義元の正室である定恵院との間には嫡男(嫡男:正室の生んだ男子のうち最も年長の子)の今川氏真をはじめ、今川長得、嶺松院、隆福院といった子供たちがいます。
今川義元の死後、今川家は滅亡したわけではなく、今川氏真が家督を継ぎ、後に徳川家康に庇護(庇護:かばい、守ること)されました。
今川氏真は今川家の血筋を残し、その血筋は明治23年の今川範叙まで続いています。
名前 | 関係 | 説明 |
---|---|---|
今川義元 | 本人 | 永正16年(1519年)生まれ。今川家の第9代当主として活躍。 |
今川氏親 | 父 | 今川家の第7代当主。戦国大名にした立役者。 |
寿桂尼 | 母 | 京の公家、藤原北家出身。今川家の全盛期を支え、女戦国大名の異名を持つ。 |
今川氏輝 | 兄 | 今川家の第8代当主。家督相続時14歳で病弱だったため、寿桂尼が政務を務めた。 |
玄広恵探 | 異母兄 | 花倉の乱で今川義元との家督争いに敗れ自害。 |
定恵院 | 正室 | 武田信虎の娘。今川氏真と今川長得、嶺松院と隆福院の母。 |
今川氏真 | 息子 | 今川義元と定恵院の間の嫡男。北条を頼り、その後徳川家康に庇護され徳川家高家として生き残る。 |
長得 | 三男 | 定恵院との間に生まれ、一月長得と称した。 |
嶺松院 | 娘 | 武田信玄の嫡男・義信に嫁いだ。 |
隆福院 | 娘 | 定恵院との間に生まれた娘。 |
今川義元の家系図クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
今川義元の兄の名前は何でしょうか?
- A. 今川氏真
- B. 今川氏親
- C. 今川長得
- D. 今川氏輝
【穴埋めクイズ問題】
今川家は、戦国時代の代表的な武家です。始祖の今川( ① )から始まり、第7代当主今川氏親が家を大名に昇格させる重要な役割を果たしました。今川氏親の正室、寿桂尼は公家出身で、今川家の発展に大きく貢献しました。今川氏輝は氏親と寿桂尼の息子で、第8代当主となるも早世し、その後今川義元が第9代当主として継承します。義元は定恵院との間に嫡男の今川( ② )、今川( ③ )、嶺松院、隆福院という子供たちを持ちました。義元の後、今川家は( ② )によって継がれ、徳川家康の庇護のもと存続し、その血筋は明治23年の今川範叙まで続きました。
( )のことばを答えてみよう!
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