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「小早川秀秋」は何をした人?どんな人物?年表・家系図・エピソードまとめクイズ問題

小早川秀秋

「小早川秀秋」の家系図(子孫)とは?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「小早川秀秋」の家系図(子孫)について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

小早川秀秋は、筑前・筑後(現在の福岡県西部)を治めた戦国時代末期の武将です。

高台院こうだいいん(豊臣秀吉の正室)の兄、木下家定きのしたいえさだの子として生まれ、幼名を辰之助といいました。

当初は豊臣秀吉の養子として羽柴秀俊と名乗り、若くして多くの才能を評価されていました。

10歳のときには早くも参議に任じられ、金吾中納言きんごちゅうなごんと称されるほどの高い地位を得ていました。

しかし、小早川秀秋の生涯は、豊臣秀吉の側室・淀殿よどどのが、秀吉の息子である豊臣秀頼を出産したことにより、一転します。

その後、毛利元就の三男である小早川隆景こばやかわたかかげの養子となり、筑前・筑後の小早川家の当主として新たな人生を歩み始めました。

養父の小早川隆景は、実家の毛利氏によその血が入ることを望まなかったので、小早川秀秋を自分の養子にします。

慶長の役で小早川秀秋は、日本全軍の総大将として名を馳せ、特に蔚山いさんの戦い(明・朝鮮軍との戦い)では大いに活躍しましたが、石田三成からはその行動が軽はずみであると見なされ、批判されました。

この事件により豊臣秀吉による小早川秀秋の領地削減へとつながり、秀秋は大きな挫折を経験します。

しかし、豊臣秀吉の死後は事態が一変し、従来の領地を保持することができました。

小早川秀秋はアルコール依存症による、肝硬変が原因で、22歳の若さで亡くなります。

名前 関係 説明
木下家定 実父 高台院(豊臣秀吉の正室)の兄、小早川秀秋の父。
小早川秀秋 本人 最初、豊臣秀吉の養子として迎えられるも、秀吉の実子が生まれたことでのちに小早川隆景の養子となる。
高台院 叔母 豊臣秀吉の正室、木下家定の妹。小早川秀秋の叔母にあたる。
豊臣秀吉 養父 初期の養父。辰之助を羽柴秀俊として育て、若い時の才能を高く評価。
小早川隆景 養父 毛利元就の三男。実家の毛利氏に外の血を入れたくないため、小早川秀秋を養子に迎える。

小早川秀秋の家系図(子孫)クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
小早川秀秋が豊臣秀吉の養子であった後、誰の養子となりましたか?

ヒント
小早川秀秋の養子縁組の背景には、後に養父となる人物の意向があり実家の毛利氏に他の血を入れたくないと思い、毛利元就の三男であった人が養父となりました。
  • A. 毛利輝元
  • B. 石田三成
  • C. 黒田官兵衛
  • D. 小早川隆景
解答(男性)
正解はD.小早川隆景

 

【穴埋めクイズ問題】

小早川秀秋は木下家定が実父であり、家定と高台院の兄妹の血を引く人物で、幼少期には辰之助と名乗りました( ① )の養子として羽柴秀俊と名乗ることになり、多くの才能を認められ、若くして重要な地位につきました。しかし、秀吉の側室・淀殿が息子の豊臣秀頼を出産したことで状況は変わり、その後、毛利元就の三男、( ② )の養子となり、筑前・筑後を治める小早川家の当主となりました。慶長の役で活躍しましたが、石田三成に批判され、その後の秀吉による領地削減の原因となりました。秀吉の死後、秀秋の領地は元に戻されましたが、( ③ )歳で肝硬変により早世しました。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①豊臣秀吉
②小早川隆景
③22

 

小早川秀秋の歴史クイズ(索引)

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