「小早川秀秋」と豊臣秀吉の関係は?わかりやすい解説とクイズ問題

「小早川秀秋」と豊臣秀吉の関係について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪

小早川秀秋は豊臣秀吉の甥で、もともとは木下家に生まれました。
小早川秀秋の父親は豊臣秀吉の正室である高台院の兄、木下家定です。
豊臣秀吉にとって小早川秀秋は、妻の兄の子ということで、親族の関係にありました。
豊臣秀吉と高台院には自分の子供がおらず、小早川秀秋が生まれると、秀吉は秀秋を溺愛し、のちに養子に迎え入れました。
しかし、豊臣秀吉と小早川秀秋の関係は、秀吉の実子・豊臣秀頼が生まれたことで大きく変わります。
豊臣秀頼の誕生により、豊臣秀吉は小早川秀秋との養子縁組を解消し、秀秋は毛利家の養子となる予定でしたが、小早川隆景が介入し、秀秋は小早川家の養子になりました。
後に豊臣秀吉が小早川秀秋に送った訓戒状(物事の善悪を教え、注意した手紙)では、学問の勉強、無駄な遊びを避ける、身だしなみや衛生面での注意、周囲の者への影響などが指摘されていました。
しかし、この訓戒状も小早川秀秋の行動を改めさせるには至らず、結局、豊臣秀吉と秀秋の関係は悪化します。
この出来事は、小早川秀秋が関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返る一因ともなったと考えられます。
小早川秀秋と豊臣秀吉の関係クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
豊臣秀吉と小早川秀秋の関係について、正しいものはどれでしょうか?

豊臣秀吉と小早川秀秋の関係は、親類の関係に基づくものでした。
- A. 豊臣秀吉は小早川秀秋を可愛がり、養子に迎え入れた
- B. 小早川秀秋が豊臣秀吉の養子になったのは、豊臣秀頼の誕生後である
- C. 小早川秀秋は豊臣秀吉の友人の子供だった
- D. 小早川秀秋は豊臣秀吉の子供だった
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正解はA.豊臣秀吉は小早川秀秋を可愛がり、養子に迎え入れた。
【穴埋めクイズ問題】
小早川秀秋は元々( ① )に生まれ、豊臣秀吉と高台院の甥であり、後に二人の養子となります。しかし、秀吉と秀秋の関係は、豊臣秀頼の誕生後に変化し、のちに( ② )が解消されました。秀秋はその後、小早川家の養子になりました。秀秋はだらしない行いが多かったため、秀吉はその行動を問題視し、訓戒状を送るも、関係は改善されず、結果として( ③ )で秀秋は西軍から東軍に寝返りました。
( )のことばを答えてみよう!
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①木下家
②養子縁組
③関ヶ原の戦い
小早川秀秋の歴史クイズ(索引)
- 「小早川秀秋」は何をした人?
- 「小早川秀秋」の年表(生涯)
- 「小早川秀秋」はどんな人物?
- 「小早川秀秋」と関ヶ原の戦い
- 「小早川秀秋」の家系図(子孫)
- 「小早川秀秋」と豊臣秀吉の関係→今ココ
- 「小早川秀秋」の家紋
- 「小早川秀秋」の性格
- 「小早川秀秋」が西軍を裏切った理由