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「大友宗麟(大友義鎮)」は何をした人?どんな人物?年表・エピソードまとめクイズ問題

大友宗麟(大友義鎮)

「大友宗麟」の家系図(子孫)とは?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「大友宗麟」の家系図(子孫)について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

大友宗麟おおともそうりん、元々は大友義鎮おおともよししげと呼ばれ、北九州地方を支配した豊後の武将です。

大友家は元を正せば、大友能直おおともよしなおが祖先で、伝承によると源頼朝みなもとのよりとも庶子しょし(正妻でない女性から生まれた子)だったとも言われています。

ですが、この話は江戸時代の記録によるもので不明確で、実際には大友能直が中原親能なかはらのちかよしの養子となり、豊後国の守護として役職を務めたことが始まりです。

大友宗麟の時代には、豊後を中心に、豊前、筑後などを含む北九州一帯を統治し、キリスト教を受け入れたキリシタン大名としても名を馳せました。

しかし、島津義久しまづよしひさとの敗戦を機に大友家の勢力は衰退し始めます。

大友宗麟の息子、大友義統おおともよしむねは関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れ、その結果幽閉ゆうへい(部屋などに閉じ込め、出られなくすること)されてしまいます。

大友義統の息子、大友義乗おおともよしのりは徳川家に預けられ、旗本として生活しますが、後継者がいなかったために一時的に大友家は途絶えてしまいました。

しかし、その後、幕府の配慮により、大友義乗の異母弟いぼてい(腹違いの子)の、大友義孝おおともよしたかを通じて大友家は「高家(江戸幕府における儀式や典礼を管理する役職)」として復活させられました。

大友宗麟の血脈は、宗麟の長女ジュスタが結婚したことで、細川家にも受け継がれていきます。

ジュスタの子孫は細川忠興ほそかわただおきの側室となり、そこから細川家の血統が継がれていきました。

名前 関係 説明
大友能直 祖先 源頼朝の庶子という伝承があるが、実際は中原親能の養子
大友宗麟(義鎮)
本人 豊後を支配したキリシタン大名
大友義統 大友義鎮の息子 関ヶ原の戦いで敗れ、幽閉される
大友義乗 大友義統の息子 徳川家に預けられ、旗本として生活
大友義孝 大友義乗の異母弟 高家として大友家を復活させる
ジュスタ 大友宗麟の長女 細川家に嫁ぎ、その血脈を受け継ぐ

大友宗麟の家系図(子孫)クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
大友家の中で、関ヶ原の戦いで敗れて幽閉された人物は、誰でしょうか?

ヒント
大友宗麟の息子である人物です。
  • A. 大友義統
  • B. 大友能直
  • C. 大友義乗
  • D. 大友義孝
解答(男性)
正解はA.大友義統

 

【穴埋めクイズ問題】

大友宗麟は、元々( ① )と呼ばれ、北九州地方を含む豊後を支配した武将で、キリシタン大名として知られています。大友家は、( ② )が祖先とされ、源頼朝の庶子の血を引いているとも言われますが、実際のところは中原親能の養子となり豊後国の守護として始まりました。( ① )の時代には、豊後、豊前、筑後を統治しました。しかし、島津義久との敗戦により大友家は衰退し始めます。宗麟の息子の大友義統は関ヶ原の戦いで敗れ、幽閉されました。義統の息子大友義乗は旗本として生活しますが、後継者がおらず一時的に家は途絶えました。しかし、義乗の異母弟の大友義孝を通じて大友家は( ③ )として復活。宗麟の血脈は長女ジュスタを通じて細川家にも受け継がれました。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①大友義鎮
②大友能直
③高家

 

大友宗麟の歴史クイズ(索引)

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