「今川義元」は何をした人?したことを簡単に解説
今川義元は戦国時代初期に駿河国(現在の静岡県)を中心に活躍した大名です。
今川義元は今川氏親の三男(諸説あり)として生まれ、元々は家督を継ぐことはできない立場であり、僧侶としての道を歩み始めました。
しかし、父と兄の急死、そして母の寿桂尼の助けを借りることによって今川義元は家督を継ぐことになりました。
その後今川家の領土を拡大し、その権力を固めていきます。
1537年には甲斐の武田信虎と同盟を結び、後には関東の大名である後北条氏とも同盟を結んでいます。
これにより、今川家は東海地方の強大な勢力として確立しました。
今川義元は三河に侵攻し、尾張の織田家との抗争を経て、徐々にその支配地を拡大していきます。
それと同時に、三河に領土を所持していた松平(後の徳川)家との関係を深めることに成功しました。
内政面では、今川仮名目録に追加法を制定し、領内の統治を強化しました。
また、駿河の金山を支配することで財政基盤も強化します。
1560年、今川義元は織田信長に対する遠征を計画し、巨大な軍勢を率いて三河国に進出しました。
これが、後に「桶狭間の戦い」として知られるようになる戦いです。
しかし、今川義元はこの戦いで織田信長の奇策により、わずかな兵力だったにもかかわらず奇襲を受け、討死しました。
今川義元の突然の死は、今川氏にとって大きな打撃となり、その後の勢力の衰退の要因となりました。
「今川義元」の年表(生涯)
年代 | 出来事 | 詳細 |
---|---|---|
1519年 | 今川義元の誕生 | 今川氏親の三男(諸説あり)として生まれる。母は寿桂尼。 |
1529年 | 仏門に出家 | 4歳で仏門に出され、瀬古善得寺に預けられる。 |
1536年 | 今川家当主となる | 兄氏輝と彦五郎の死後、家督相続。花倉の乱で異母兄との争いに勝利。 |
1537年 | 武田氏と同盟 | 武田信虎の娘を正室に迎え、甲駿同盟を結成。 |
1545年 | 北条氏との同盟 | 山内上杉憲政と同盟を結び、北条氏を挟撃。 |
1548年 | 織田信秀との戦勝 | 第二次小豆坂の戦いで織田信秀に大勝。 |
1549年 | 松平家支配下に | 松平広忠死後、西三河地域を今川家の領土に。 |
1554年 | 甲相駿三国同盟 | 北条氏康の娘を嫡子氏真に縁組し、同盟を結成。 |
1560年 | 桶狭間の戦いで討死 | 尾張国へ侵攻中、織田信長に討ち取られる。 |
「今川義元」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題
今川義元は、1519年に生まれ、1560年の桶狭間の戦いで敗死するまでの間、駿河国と遠江国を治めた戦国時代の大名です。
駿河・遠江の領主として、また三河を手中に収めようとした武将であり、東海地方における強大な勢力を築き上げました。
出家していたが家督争いの結果、今川家の当主となり、政治と軍事の双方で才能を発揮しました。
最初は僧侶として過ごし、後に家督を継いでからは、内政に力を入れ、検地や家臣団の統制、商工業や鉱山開発を推進しました。
特に「仮名目録追加」(仮名目録追加:今川義元の父が今川仮名目録を33箇条制定し、のちに義元が21箇条制定したもの)を制定し、分国法による領国統治の基盤を固め、今川氏の権威を高めました。
外交面では、武田信虎の娘と結婚し、武田氏との同盟を築く一方で、北条氏との抗争を経て、最終的には甲相駿三国同盟を成立させました。
この同盟は、周辺の大名とのバランスを保ちながら、自らの領土を拡大しようとする今川義元の外交戦略を如実に表しています。
また、公家社会(公家:平安時代から江戸時代にかけて、宮廷に仕える天皇や貴族階級の人々)を重んじる一面を持ち、僧侶としての修業を経た後も、その嗜好は変わらず、戦国大名としての厳しい面と公家社会を重んじる、二面性を持っていました。
文化的な教養も深く、戦国時代においても文化人としての顔を持つことで知られています。
しかし、最も知られるエピソードは桶狭間の戦いでの敗死であり、織田信長による奇襲に遭って命を落とします。
今川義元はどんな人物クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
今川義元が制定した分国法はなんでしょうか?
- A. 持国天
- B. 甲州法度之次第
- C. 新加制式
- D. 仮名目録追加
【穴埋めクイズ問題】
今川義元は、1519年に生まれ1560年に( ① )の戦いで敗れるまで、駿河国と遠江国を治めた戦国時代の大名であり、三河をも支配下に置こうとした野心を持ちます。( ② )から転じて今川家の当主となり、検地や家臣団の統制、商工業と鉱山開発を推進し、内政を強化しました。また、武田信虎の娘との結婚を通じて武田氏と同盟を結び、北条氏との抗争後には( ③ )同盟を成立させるなど、外交戦略でも成功を収めました。公家社会を重んじ、文化人としての顔も持ち合わせていた義元は、桶狭間の戦いで織田信長に敗れて命を落とすことで、その生涯を閉じました。
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