「大谷吉継」の死因とは?わかりやすい解説とクイズ問題
大谷吉継は1600年の関ヶ原の戦いで亡くなりました。
元々ハンセン病にかかっていた大谷吉継ですが、関ヶ原の戦いの時には、病気が進行し、目が見えず、馬にも乗れない状態でしたが、輿(人が乗り、担ぐもの)に乗って西軍に指示を出していました。
東軍の徳川家康に対抗するため石田三成とともに西軍を率いましたが、小早川秀秋の裏切りに遭遇します。
小早川秀秋に裏切られても、ある程度予測していた大谷吉継は見事な采配で圧倒的兵力の小早川勢を何度も追い返しますが、小早川勢の裏切りに備えて配置していた部隊が東軍に寝返り、大谷隊を攻撃してきました。
この裏切りは、大谷吉継にとって大きな打撃となり、自身の部隊が壊滅的な被害を受けます。
関ヶ原の戦いの最中、自身の部隊が東軍に対抗できなくなり、その結果、大谷吉継は自害を選択し、42歳でこの世を去りました。
大谷吉継は最後に、「首が見つからないように埋めてほしい」と遺言を残しています。
敵に首を取られることでハンセン病のために崩れた自分の顔が晒し首になることを恥じ、斬り落とした自分の首を地中に埋め、決して東軍の手に渡さない様に家臣に託し、自らの命を絶ちました。
大谷吉継の死因クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
大谷吉継が関ヶ原の戦いで自害する際に残した遺言は何でしょうか?
- A. 自分の剣を石田三成に渡してほしい
- B. 自分の馬を家康に贈ってほしい
- C. 自分の家族を守ってほしい
- D. 自分の首が見つからないように埋めてほしい
【穴埋めクイズ問題】
大谷吉継は1600年、関ヶ原の戦いで42歳で亡くなりました。ハンセン病に苦しみながらも、戦いでは輿に乗り指示を出していました。石田三成と共に( ① )を率いたものの、小早川秀秋の裏切りとその裏切りに備えて配置していた部隊の寝返りに遭遇し、吉継の部隊は壊滅的な被害にあいました。絶望的な状況となり、大谷吉継は( ② )を選択しました。「( ③ )が見つからないように埋めてほしい」という遺言により、首は敵に渡らぬよう家臣が地中に埋めました。
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