「大友宗麟」の城とは?わかりやすい解説とクイズ問題
大友宗麟は戦国時代の豊後国の武将であり、その生涯を通じて多くの城に関わってきました。
特に有名なのは臼杵城、門司城、高崎山城の三つです。
臼杵城は大友宗麟が1562年に築城しました。この城は臼杵湾に面し、周囲を海に囲まれた丹生島に位置していました。
天然の要塞とも言われたこの城は、干潮時には陸続きになりますが、一方で断崖絶壁に囲まれ侵入が困難な地形を利用しています。
大友宗麟はこの城を拠点とし、宗麟がキリスト教の信者であることもあり、多くのキリシタンが集まる場所としても知られ、南蛮貿易の中心地として栄えました。
特にポルトガルから輸入されたフランキ砲(16世紀の大砲の1つ)を設置し、外国文化の影響を強く受けた城としても記録されています。
門司城は豊前国の戦略的要塞として知られ、1185年に築城されました。
後に大友宗麟はここで毛利元就と激しい戦いを繰り広げ、「門司城の戦い」の舞台となりました。
関門海峡を一望できる位置にあり、その後も九州の北部防衛の要として機能し続けた重要な城です。
高崎山城は、大分県大分市の高崎山に位置し、別府湾に面する北側が断崖絶壁となっている難攻不落(攻撃が難しい)の城でした。
大友宗麟の時代には、緊迫した戦時において重要な退避拠点として利用されました。
特に大友宗麟の長男・大友義統が島津氏の侵攻時にここに籠城(敵に囲まれて城にたてこもること)したことで知られていますが、最終的には豊臣秀吉による改易(罪により職や身分を取り上げられる罰)で廃城となりました。
大友宗麟の城クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
ポルトガルから輸入されたフランキ砲が設置され、周囲はキリシタンが集まる場所としても知られたのはどの城ですか?
- A. 高崎山城
- B. 門司城
- C. 臼杵城
- D. 大分城
【穴埋めクイズ問題】
大友宗麟が関わった城として臼杵城、門司城、高崎山城が挙げられます。臼杵城は1562年に大分県の丹生島に築かれ、キリスト教信者の集まりや( ① )の中心地として栄え、ポルトガルからのフランキ砲を設置したことでも知られています。豊前国に位置する門司城は、1185年に築城され、宗麟と( ② )の激戦地となった重要な戦略拠点でした。大分県大分市にある高崎山城は、別府湾を見下ろす難攻不落の城であり、大友宗麟の長男・大友義統が島津氏の侵攻の際、籠城しました。のちに豊臣秀吉による( ③ )で廃城になりました。
( )のことばを答えてみよう!
[…] 大友宗麟(大友義鎮) […]