「斎藤道三」は何をした人?したことを簡単に解説
斎藤道三は、戦国時代初期にあたる1494年頃に生まれたとされていますが、道三の家系や父親に関する具体的な記録は乏しく、出生には諸説あります。
斎藤道三は、11歳で京都の妙覚寺に入り僧侶となります。しかしその後、20歳で還俗(出家した者がもとの俗人に戻ること)して、油商人に転職するという、当時としては珍しい経歴の持ち主でした。
斎藤道三の商才は非凡で、「漏斗を使わずに油を一文銭の穴に通す」という技で名を馳せ、商売を成功に導きます。しかし、その才能は商売だけに留まらず、武道にもその才能を発揮し始めます。
斎藤道三の武士としては、美濃国の小守護代である長井長弘に仕えることから始まりました。
斎藤道三の武芸と才覚はすぐに土岐頼芸という人物の目に止まり、美濃国内での道三の地位は急速に上昇します。
斎藤道三は、土岐頼芸との関係を深める一方で、美濃国の支配権を巡る内紛に巧みに介入し、次第に自身の勢力を拡大していきます。
特に斎藤道三の名を歴史に刻んだのは、土岐頼芸の弟、土岐頼満の毒殺と、その後の頼芸に対する反旗です。これらの行動により、美濃国の実権を握るに至ります。
斎藤道三の戦略は単に軍事的なものだけではなく、政略結婚を通じて他の武将との同盟を固めることにも長けており、自身の地位をさらに固めることもしました。
斎藤道三は娘の一人、帰蝶(のちの濃姫)を織田信長に嫁がせ、織田家との同盟を確立しました。これにより、斎藤道三は美濃国の完全な支配を確立し、国主として君臨しました。
しかし、斎藤道三は息子の斎藤義龍との関係悪化によって破滅へと向かいます。
親子間の確執は深まり、1556年の長良川の戦いでは、斎藤道三の軍は斎藤義龍の軍に大敗し、道三は戦死します。道三の死は、美濃国内の権力争いに決定的な終止符を打ちました。
「斎藤道三」の年表(生涯)
年代 | 出来事の概要 | 詳細 |
---|---|---|
1494年(諸説あり) | 誕生 | 松波庄五郎の息子として生まれる(諸説あり) |
1526年 | 深芳野を側室に迎える | 土岐頼芸から深芳野を下賜され側室とする。翌年、斎藤義龍誕生。 |
1532年 | 正室を迎える | 明智長山城主の明智光継の娘、小見の方を正室にする。 |
1538年 | 斎藤家名跡を継ぐ | 斎藤利良病死後、斎藤新九郎利政と名乗り家を継ぐ。 |
1541年 | 土岐頼満を毒殺 | 土岐頼芸との仲が悪化、下剋上により美濃国主となる。 |
1548年 | 帰蝶と織田信長の結婚 | 織田家との和睦を図り、帰蝶と織田信長との結婚を条件にする。この結婚が両家の関係強化に大きく寄与する。 |
1553年 | 織田信長との対面 | 正徳寺で織田信長と対面。 |
1554年 | 家督を斎藤義龍に譲る | 剃髪入道して鷺山城に隠居する。 |
1555年 | 斎藤義龍の謀反 | 斎藤義龍が道三に対して謀反を起こす。 |
1556年 | 死去 | 長良川の戦いで戦死。 |
「斎藤道三」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題
斎藤道三は、戦国時代の美濃国でその名を馳せた大名です。
生涯を通じて、何度も名前を変えながら、油売り商人から武士へと身を上げ、美濃国の実権を握るまでに至りました。
斎藤道三は主君を次々と倒して下剋上を果たし、美濃国を乗っ取りました。
そのため、親の腹を破って生まれてくると信じられていたマムシに例えられ、美濃のマムシとのあだ名でも知られ、狡猾(狡猾:ずる賢いこと)な謀略を得意としたことで名高いです。
斎藤道三の出自については、北面の武士(北面の武士:院御所の北面を警護した武士)であった家系から、困難を乗り越えて京都府の山城国乙訓郡西岡に落ち着いた一族の出とされます。
若い頃は法華宗の名刹である妙覚寺に入り、後に還俗(還俗:一度出家した者がもとの俗人に戻ること)して油商人となり、美濃国での活動を通じて武士の道を歩み始めました。
斎藤道三は美濃国の守護大名である土岐氏に仕え、その内部の争いを巧みに操り、自らが守護職に就くための布石(布石:将来のために前もって備え整えておくこと)を打ちました。
軍事的才能と政治的策略に長けており、数々の戦いを経て美濃国の支配権を掌握しました。
また、斎藤氏の初代当主として独立しました。
斎藤道三は家族関係でも影響を残しており、娘の帰蝶(濃姫)が織田信長に嫁ぎ、道三自身も信長の義父となりました。
しかし、その生涯は長男である斎藤義龍との対立により終焉を迎え、1556年に長良川の戦いで命を落としました。
斎藤道三はどんな人物クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
斎藤道三は、戦国時代にどの地域で名を馳せた大名でしょうか?
- A. 伊勢
- B. 美濃国
- C. 信濃
- D. 三河
【穴埋めクイズ問題】
斎藤道三は、戦国時代に美濃国で力を持った大名であり、( ① )から武士へと階級を上げていきました。美濃のマムシというあだ名があり、策略に長け、土岐氏の内紛を利用して美濃の実権を握りました。道三は斎藤氏の初代当主として独立し、織田信長の( ② )となるなど家族を通じても大きな影響を与えました。しかし、長男の斎藤義龍との対立に敗れ、1556年に( ③ )の戦いで命を落としました。
( )のことばを答えてみよう!
- 「斎藤道三」は何をした人?
- 「斎藤道三」の年表(生涯)
- 「斎藤道三」はどんな人物?→今ココ
- 「斎藤道三」の死因
- 「斎藤道三」の娘
- 「斎藤道三」と織田信長の関係
- 「斎藤道三」の家系図(子孫)
- 「斎藤道三」と明智光秀の関係
- 「斎藤道三」の城
[…] 斎藤道三 […]