「紫式部」と「清少納言」の関係をわかりやすく解説
紫式部と清少納言は平安時代の宮廷に仕えた女性作家として知られていますが、両者は実際には面識がありませんでした。
両者とも宮中での仕事はしていたものの、仕事が重なることはありませんでした。
清少納言は一条天皇の后である藤原定子に993年から1001年まで仕え、一方の紫式部は藤原定子の従姉妹である藤原彰子に1006年から仕え始めました。
このため、実際の交流はなく、直接的な関わり合いも持っていなかったことがわかります。
紫式部が著した「源氏物語」は光源氏と多くの女性との恋愛を中心に綴った物語で、人間関係の複雑さや心理の機微を巧みに描いています。
一方、清少納言の「枕草子」は日常の出来事や物への感想をつづった随筆で、清少納言の観察眼や感性が生き生きと表現されています。
二人の作品のジャンルは異なりますが、それぞれが持つ文学的才能や個性が強く作品にあらわれています。
紫式部は「紫式部日記」の中で清少納言について言及しており、清少納言の学問的な振る舞いを批判的に書いていますが、清少納言の作品には紫式部に対する言及が見当たりません。
おそらく紫式部が一方的に清少納言を意識していたことがうかがえます。
清少納言が仕えた藤原定子の後宮は活発で自由な雰囲気があり、定子自身も教養があり冗談を言うことができる人物でした。
一方、紫式部が仕えた藤原彰子の後宮は、品がありながらもやや消極的で、控えめな雰囲気がありました。
このような違いが、二人の作品にも影響しているとされています。
「紫式部」と「清少納言」の関係クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
紫式部が清少納言について言及した作品は何でしょうか?
- A. 源氏物語
- B. 紫式部日記
- C. 紫式部集
- D. 枕草子
【穴埋めクイズ問題】
紫式部と清少納言は、共に平安時代の宮廷に仕えた( ① )ですが、直接的な交流はありませんでした。清少納言は一条天皇の后、( ② )に993年から1001年まで仕え、紫式部は( ② )の従姉妹、藤原彰子に1006年から仕え始めました。紫式部が著した「源氏物語」は光源氏と多くの女性との関係を描き、清少納言の「( ③ )」は日常の出来事や物への感想を綴った作品で、両者には作品のジャンルに違いがありました。紫式部は「紫式部日記」で清少納言を批判的に言及していますが、清少納言の作品には紫式部に対する言及はありません。二人が仕えた後宮の雰囲気も異なり、( ② )のもとでは自由で活発な環境があり、彰子のもとでは控えめで消極的な雰囲気があったことが、それぞれの作品に影響を与えていたとされています。
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