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「源義経」は何をした人?どんな人物?年表・伝説・性格・エピソードまとめクイズ問題

源義経
この記事を通じてわかること
歴史博士
源義経は何をした人なのか、そしてどういう人物だったのか。源義経の歴史や生涯をわかりやすく解説し、クイズ問題にしています。解説のあとに、4択クイズ穴埋めクイズがあるので挑戦してみて下さい。
助手ねこ
クイズに答えながら、源義経について楽しく学んでいけるで〜♪

「源義経」は何をした人?したことを簡単に解説

中尊寺所蔵の義経像
義経像(中尊寺所蔵) 画像出典:wiki
歴史博士
まずは源義経が何をした人なのかをわかりやすく簡単に説明するね。
助手ねこ
よっしゃ!源義経が何をした人なのかを簡単に知っとこう!ほないくで〜♪

源義経みなもとのよしつねは1159年、京都に生まれました。

幼少期、平治の乱で父・源義朝みなもとのよしともが討死にすると、源義経は兄・源頼朝とともに平家から命をおびやかされることとなります。

源頼朝は伊豆に流罪となり、源義経は鞍馬寺くらまでらに預けられました。

この時期、義経は幼名「牛若丸うしわかまる」として知られ、後に鞍馬寺で修行を積みます。

1174年、源義経は鞍馬山を出て奥州へと向かい、奥州藤原氏おうしゅうふじわらしの庇護を受けます。

その後、1180年に義経は源頼朝と黄瀬川きせがわで対面し、以降、頼朝のもとで平家との戦いに参加します。

源頼朝が挙兵し鎌倉幕府の基盤を築き始めると、源義経も兄を支援するために力を尽くします。

特に一ノ谷いちのたにの戦いでは、源義経は山を背にした平家の陣営に対し、通常では考えられない崖を騎兵で駆け下りる奇襲作戦を成功させ、平家軍を混乱に陥れました。

屋島やしまの戦いでも、源義経は海路からの奇襲攻撃を敢行し、平家軍を撃破します。

そして壇ノ浦だんのうらの戦いでは、義経の軍勢は平家を海上で追い詰め、平家の勢力を壊滅させました。

しかし、源義経の強さと周囲からの人気の高さが源頼朝との関係に溝を生むことになります。

特に後白河法皇ごしらかわほうおうから勝手に官位を受け取ったことが頼朝の怒りを買い、これが二人の間の決定的な対立を引き起こします。

源頼朝からの追討令が出され、源義経は再び奥州平泉おうしゅうひらいずみに逃れます。

しかし源義経は奥州藤原氏の藤原泰衡ふじわらのやすひらに裏切られてしまいます。

衣川館ころもがわのたてで追い詰められ、1189年に自害しました。この時、義経の年齢はわずか31歳でした。

「源義経」の年表(生涯)

歴史博士
年表を使って、「源義経」の歴史や生涯を見てみましょう。
年代 出来事の概要 詳細な説明
1159年 誕生 源義朝と常盤御前ときわごぜんの間に生まれる。幼名は牛若丸。
1160年 平治の乱 源義朝が平治の乱で敗死。兄の源頼朝は伊豆へ流罪となる。
1169年 鞍馬寺へ入る 平家による追及を逃れるため、源義経は鞍馬寺に入る。
1174年 奥州平泉へ下る 鞍馬寺を出奔しゅっぽん(逃げて姿をくらますこと)し、奥州平泉に到達。ここで藤原秀衡ふじわらのひでひら庇護ひごを受ける。
1180年 源頼朝の挙兵 源頼朝が挙兵し、鎌倉幕府の基盤を築き始める。源義経も兄を支援するため、奥州から伊豆に向かい、軍勢に加わる。
1184年 一ノ谷の戦い 一ノ谷の戦いで平家軍に対する決定的な勝利を収める。
1185年 屋島・壇ノ浦の戦い 義経は屋島の戦いと壇ノ浦の戦いで連勝し、平家の勢力を滅亡させる。
1187年 奥州平泉へ逃れる 源頼朝との関係が悪化し、源義経は命を狙われる立場になる。安全を求めて再び奥州平泉へ逃れる。
1189年 死去 藤原泰衡の裏切りにより、自刃を余儀なくされる。
助手ねこ
ここからは「源義経」について深く知るためにさらなる解説歴史クイズ問題のスタートやでぇ〜!ワイは歴史めっちゃ好きやねん!楽しみやわ〜♪

「源義経」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「源義経」がどんな人物なのか、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

源義経は、平安時代末期の武将で、源頼朝異母弟いぼていとして知られています。

源義朝みなもとのよしとも常盤御前ときわごぜんの間に生まれ、「牛若丸うしわかまる」と呼ばれる幼年期を送りました。

幼少から困難な生活を送り、父の死後は母によって鞍馬寺くらまでらに預けられ、そこで厳しい修行と学問に励みました。

成長すると、源義経は源頼朝の下に参じ、平家との戦いにおいて卓越した軍略で名を馳せます。

一ノ谷いちのたにの戦い屋島やしまの戦い、そして壇ノ浦だんのうらの戦いでの活躍は、平家を滅ぼす決定的なものとなりました。

特に、一ノ谷の戦いでの逆落としや、壇ノ浦の戦いでの八艘飛はっそうとなどは、源義経の英雄的な側面を象徴し、広く知られています。

しかし、源義経の輝かしい功績とは裏腹に、兄である源頼朝との間には次第に溝が生まれます。

源義経の独断行動や、後白河法皇ごしらかわほうおうからの過度の信任が源頼朝の不信を買い、ついには鎌倉からの追放を命じられます。

源義経はその後、奥州おうしゅうへ逃れ、藤原秀衡ふじわらのひでひらの保護を受けるものの、最終的には藤原泰衡ふじわらのやすひらに裏切られ自刃じじんに追い込まれました。

源義経はどんな人物クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
源義経の父は誰でしょうか?

ヒント
源義経は源頼朝の異母弟であり、この人物は頼朝の父でもあります。
  • A.  源義門
  • B.  源善円
  • C.  源朝長
  • D.  源義朝
解答(男性)
正解はD.  源義朝

 

【穴埋めクイズ問題】

源義経は平安時代末期の武将で、( ① )の異母弟です。源義朝と常盤御前の子として産まれました。幼名は( ② )と呼ばれ、幼少期を鞍馬寺で過ごしました。軍略に優れ、特に一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いで平家に対する決定的な勝利を収めました。しかし、その成功が( ① )との関係悪化を招き、最終的には( ③ )に裏切られて自害に追い込まれました。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①源頼朝
②牛若丸
③藤原泰衡

 

源義経の歴史クイズ(索引)