「明智光秀」と天海とは?わかりやすい解説とクイズ問題
明智光秀は、織田信長を本能寺の変で討ったことで知られる武将であり、天海は江戸時代初期に活躍した天台宗の僧侶です。
二人の間には、数々の共通点が指摘されており、一部では同一人物ではないかという説が唱えられています。
明智光秀は、本能寺の変後に豊臣秀吉の追手によって山崎で討たれたとされていますが、その後の明確な記録はなく、死亡したかどうかについても不明な点が多いです。
一方、天海は江戸時代に徳川家康の側近として活躍し、江戸城の建設計画などに関わり、日光東照宮の創建者としても知られています。
天海の出自や生い立ちも明確ではなく、その人生の多くが謎に包まれています。
明智光秀と天海が同一人物だとする根拠として挙げられる理由の一つ目は比叡山の松禅寺にある石灯籠に「慶長二十年二月十七日 寄進願主光秀」と記されていることです。
この「寄進願主光秀」が光秀本人であるという仮説が根拠となっています。
この仮説が正しければ慶長20年は1615年であり、光秀は1582年の山崎の戦い後生き延びたということになり、比叡山で修行していた天海と光秀は同一人物ではないかと考えられています。
二つ目は光秀の位牌が京都府右京区にある慈眼寺に納められていることです。
この寺の場所は光秀が築いた周山城の近くであり、天海の諡号は「慈眼大師」であることからふたつの名前の関連性が根拠となっています。
三つ目は光秀にまつわる埋蔵金伝説と、それを探し出したとされる天海との関連があることです。
埋蔵金伝説が残っているのは光秀が築城した金山城があったとされる場所で、光秀の歌の中に金山城付近に埋蔵金を隠したとされる内容が書かれていたことからこの説は生まれました。
他にも慈眼寺付近に埋められたとする説や、琵琶湖に沈められたとする説なども存在しましたが、江戸時代になりその埋蔵金を見つけ出したのが天海だったことが根拠となっています。
これらの点は、二人が同一人物である可能性を示唆していると考えられますが、確たる証拠は見つかっておらず、仮説の段階にとどまっています。
明智光秀と天海クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
明智光秀と天海が同一人物だとする根拠の理由の一つで、「光秀」と記されている石灯籠があるのはどこでしょうか?
- A. 松禅寺
- B. 西教寺
- C. 延暦寺
- D. 愛宕神社
【穴埋めクイズ問題】
明智光秀は本能寺の変で織田信長を討った武将で、天海は江戸初期に徳川家康の側近として活躍した( ① )です。二人の関係について、同一人物である可能性が唱えられています。この仮説は、比叡山の松禅寺にある石灯籠に記された「光秀」の名、京都の( ② )に納められた位牌の存在、そして明智光秀に関する( ③ )伝説とその発見に天海が関わったとされる点に基づいています。しかし、これらの根拠は確固たるものではなく、二人が同一人物であるかは仮説の段階です。
( )のことばを答えてみよう!
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