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「足利尊氏」は何をした人?どんな人物?年表・家系図・エピソードまとめクイズ問題

足利尊氏
この記事を通じてわかること
歴史博士
足利尊氏は何をした人なのか、そしてどういう人物だったのか。足利尊氏の歴史や生涯をわかりやすく解説し、クイズ問題にしています。解説のあとに、4択クイズ穴埋めクイズがあるので挑戦してみて下さい。
助手ねこ
クイズに答えながら、足利尊氏について楽しく学んでいけるで〜♪

「足利尊氏」は何をした人?したことを簡単に解説

絹本著色伝足利尊氏像(浄土寺蔵)
絹本著色伝足利尊氏像(浄土寺蔵) 画像出典:wiki
歴史博士
まずは足利尊氏が何をした人なのかをわかりやすく簡単に説明するね。
助手ねこ
よっしゃ!足利尊氏が何をした人なのかを簡単に知っとこう!ほないくで〜♪

1305年、関東の名門武士家族に生まれた足利尊氏あしかがたかうじは、若くして鎌倉幕府に仕え、その信頼を得ていました。

しかし、時代は変わりつつあり、幕府の権威はおとろえ、天皇家との関係も緊張していました。

1333年、後醍醐天皇ごだいごてんのうが鎌倉幕府に対して挙兵きょへいし、幕府滅亡の動きが本格化します。

足利尊氏は当初、幕府側で戦いましたが、幕府の体制に疑問を抱き始めます。

後醍醐天皇の理念に共感した足利尊氏は、最終的に幕府を裏切り、六波羅探題ろくはらたんだいを攻め落とし、幕府の崩壊を加速させました。

幕府崩壊後、足利尊氏は後醍醐天皇の建武けんむ新政しんせいに参加しますが、新政の失敗と、後醍醐天皇との間に生じた対立から、自らの政権を樹立じゅりつする道を選びます。

1336年には京都を制圧し、室町幕府を開き、征夷大将軍に就任し、新たな武家政権の頂点に立ちます。

しかし、足利尊氏の試練は続き、幕府設立後も、尊氏は多くの困難に直面します。

特に弟である足利直義あしかがただよしとの間で起きた観応かんのう擾乱じょうらんは、足利尊氏にとって大きな問題となりました。

政治的な対立を背景に起きたこの内乱は、幕府内部の権力闘争を象徴する出来事でしたが、足利尊氏はこれに勝利し、幕府の基盤をさらに固めることに成功します。

また、足利尊氏は、天龍寺てんりゅうじの建立にも尽力しました。

これは、後醍醐天皇に対する個人的な思い入れ、またはそれまでの戦に巻き込まれた人々への慰霊いれいの意味も含んでいたと考えられます。

足利尊氏は1358年に死去しますが、亡くなるまで自分が想像する幕府を作り上げるために尽くしました。

「足利尊氏」の年表(生涯)

歴史博士
年表を使って、「足利尊氏」の歴史や生涯を見てみましょう。
年代 出来事の概要 詳細な説明
1305年 誕生 相模国鎌倉さがみのくにかまくら足利貞氏あしかがさだうじの子として生まれる。源義家みなもとのよしいえ末裔まつえいとして、鎌倉幕府末期の有力武家に所属する。
1331年 元弘の乱 後醍醐天皇が幕府の滅亡を目指して挙兵。足利尊氏は最終的に後醍醐天皇方に寝返り、六波羅探題を攻め落とす。
1333年 鎌倉幕府の滅亡 足利尊氏の活躍により、鎌倉幕府は滅亡。新たに後醍醐天皇の主導で建武の新政が始まる。
1335年 中先代の乱 北条時行ほうじょうときゆきによる中先代なかせんだいの乱発生。足利尊氏はこれを鎮圧した後、建武の新政に対する不満から後醍醐天皇に反旗をひるがえす。
1336年 湊川の戦い 楠木正成くすのきまさしげ新田義貞にったよしさだ率いる後醍醐天皇軍と戦う。勝利を収め、京都に入城し、室町幕府の基盤を固める。
1338年 室町幕府の成立 光明天皇こうみょうてんのう擁立ようりつし、自ら征夷大将軍に就任。室町幕府の初代将軍として、新たな武家政権の構築に成功。
1349年 観応の擾乱 室町幕府内での権力争いが発生。足利尊氏の弟足利直義と高師直こうのもろなおが対立し、内乱が起こる。
1358年 死去 京都で54歳で死去。
助手ねこ
ここからは「足利尊氏」について深く知るためにさらなる解説歴史クイズ問題のスタートやでぇ〜!ワイは歴史めっちゃ好きやねん!楽しみやわ〜♪

「足利尊氏」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「足利尊氏」がどんな人物なのか、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

足利尊氏は、1305年に生まれた武将で、1338年に室町幕府を創設しました。

足利尊氏は、清和せいわ天皇の末裔まつえいである源氏の一員として、武家の名門・足利氏の中でも重要な地位にありました。

足利尊氏の人生を大きく変えた出来事の一つに、鎌倉幕府の打倒があります。

1333年、足利尊氏はもともと幕府の命を受けて後醍醐天皇ごだいごてんのうの反乱を抑える役割を担っていましたが、途中で天皇の側について鎌倉幕府を倒すことに成功しました。

その後、後醍醐天皇と共に建武けんむ新政しんせいを始めるものの、すぐに建武の新政に不満をもつ武家を代表する立場として天皇と対立しました。

足利尊氏は1336年に光明こうみょう天皇を擁立して、自らの政権を築き始めます。

この動きが南北朝時代の始まりとなり、足利尊氏は1338年に征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任ぜられ、実質的に武家政権を確立しました。

足利尊氏が創設した政権は、後に室町幕府と呼ばれるようになり、尊氏自身は京都に政権を構築しました。

ただ、政治の面では困難が多く、特に弟の足利直義あしかがただよしとの対立は激しいものがありました。

この対立は、後に足利直義が毒殺されるという悲劇につながり、足利尊氏自身も1358年に病死しました。

足利尊氏はどんな人物クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
足利尊氏が創設した幕府は何でしょうか?

ヒント
足利尊氏はこの幕府を1338年に創設しました。
  • A.  江戸幕府
  • B.  室町幕府
  • C.  鎌倉幕府
  • D.  安土幕府
解答(男性)
正解はB.  室町幕府

 

【穴埋めクイズ問題】

足利尊氏は、1305年に生まれた武将で、室町幕府の創設者です。源氏の一員として足利氏において重要な地位を持ち、1333年には( ① )幕府を倒す重要な役割を果たしました。その後、後醍醐天皇の( ② )に不満を持つ武家の代表として立ち、1336年に光明天皇を擁立して、実質的に武家政権を確立しました。尊氏が築いた政権は、後に室町幕府と呼ばれ、( ③ )に基盤を構築しました。尊氏は1358年に病死するまで、多くの政治的困難に直面しながらも、その政治は大きな影響を与えました。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①鎌倉
②建武の新政
③京都

 

足利尊氏の歴史クイズ(索引)