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「足利義満」は何をした人?どんな人物?年表・貿易・文化・エピソードまとめクイズ問題

足利義満
この記事を通じてわかること
歴史博士
足利義満は何をした人なのか、そしてどういう人物だったのか。足利義満の歴史や生涯をわかりやすく解説し、クイズ問題にしています。解説のあとに、4択クイズ穴埋めクイズがあるので挑戦してみて下さい。
助手ねこ
クイズに答えながら、足利義満について楽しく学んでいけるで〜♪

「足利義満」は何をした人?したことを簡単に解説

足利義満像(鹿苑寺蔵)
足利義満像(鹿苑寺蔵) 画像出典:wiki
歴史博士
まずは足利義満が何をした人なのかをわかりやすく簡単に説明するね。
助手ねこ
よっしゃ!足利義満が何をした人なのかを簡単に知っとこう!ほないくで〜♪

足利義満あしかがよしみつは1358年に、足利義詮あしかがよしあきらの子として生まれます。

父の急逝きゅうせい後、幼くして将軍位を継ぐことになり、足利義満は1368年に室町幕府の3代将軍に就任しました。

幼少期には細川頼之ほそかわよしゆき斯波義将しばよしまさの補佐を受けつつも、成人後は自力での政治力を発揮し始め、「はな御所ごしょ」を造営し、自身の政権基盤を確立していきました。

また、朝廷内での地位も高め、内大臣ないだいじん准三后じゅさんごう(日本の朝廷における称号)に就任し、武士でありながら高い地位に就きました。

守護大名しゅごだいみょうの力を削ぐために奉公衆ほうこうしゅうと呼ばれる直轄軍ちょっかつぐんを強化します。

1390年の土岐康行ときやすゆきの乱、1391年の明徳めいとくの乱、そして1399年の応永おうえいの乱で、足利義満は守護大名を徹底的に打ち破り、幕府の権力を強化すると同時に、自らの支配下における直轄地を増やしていきました。

特に応永の乱では、西国の強大な大名である大内義弘おおうちよしひろを討ち取ることで、足利義満の権威が全国に示されました。

これにより、幕府の権威を地方にまで徹底させることに成功し、さらに南北朝なんぼくちょう時代の終結を成し遂げました。

南北朝統一後は、大陸との貿易を再開させることに力を入れ、日明貿易にちみんぼうえきを通じて国内に富をもたらしました。

これによって室町幕府の経済基盤は大きく強化され、足利義満自身も「日本国王」として明から認識されるようになりました。

文化面においても足利義満は大きく貢献しています。

金閣寺の造営は、足利義満の文化に対する洗練された感性と、時代を超えた美意識を象徴するものとなりました。

また、能楽の保護・振興しんこうにも力を入れ、観阿弥かんあみ世阿弥ぜあみ父子に支援を提供することで、能が文化として成熟する基盤を作りました。

足利義満は1394年に出家し、幕府の権力はその後も保持しつつ、政治的にも文化的にも時代を先導する存在であり続けました。

出家後も政治に関与し続けた足利義満ですが、1408年に病に倒れ、この世を去ります。

「足利義満」の年表(生涯)

歴史博士
年表を使って、「足利義満」の歴史や生涯を見てみましょう。
年代 出来事 詳細な説明
1358年 誕生 足利二代将軍・足利義詮の子として京都で生まれる。
1368年 元服 10歳で元服し、室町幕府の第3代征夷大将軍に就任。
1374年 日野業子との結婚 16歳で日野業子ひのなりこを正室に迎える。
1378年 花の御所移転 20歳で邸宅を北小路室町きたこうじむろまちに移し、室町幕府の政庁とする。
1390年 土岐康行の乱 兄弟の不和を利用して土岐氏を滅ぼす。
1392年 南北朝合一 三種の神器を北朝に接収せっしゅう(強制的に取り上げること)させる形で南北朝合一なんぼくちょうごういつを実現。
1394年 将軍職譲渡 足利義持あしかがよしもちに家督を譲り、自身は太政大臣だいじょうだいじんに就任するが、実権は保持。
1395年 出家 出家し、道義どうぎと号する。
1397年 北山殿造営 舎利殿しゃりでん(金閣)を中心とする北山殿を造営。
1399年 応永の乱 大内義弘を討伐し、権力を強化。
1401年 日明国交 日明国交を正式に樹立し、日本国王に冊封さくほうされる。
1404年 勘合貿易開始 日本国王が皇帝に朝貢ちょうこうする形式で勘合貿易かんごうぼうえきを開始。
1408年 死去 咳病により急死。
助手ねこ
ここからは「足利義満」について深く知るためにさらなる解説歴史クイズ問題のスタートやでぇ〜!ワイは歴史めっちゃ好きやねん!楽しみやわ〜♪

「足利義満」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「足利義満」がどんな人物なのか、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

足利義満は、室町時代の第3代将軍として活躍した人物です。

1358年に生まれ、1368年に父・足利義詮あしかがよしあきらが亡くなった後、将軍に就任しました。

足利義満の時代には多くの守護大名たちが勢力を誇っており、時には幕府に対して反乱を起こすこともありましたが、義満はこれらの反乱を鎮め、幕府の権威を確固たるものにしました。

また、足利義満は京都の室町に「花の御所」と呼ばれる華やかな邸宅を建設し、幕府の拠点をそこに移しました。

これは、幕府の力を内外に示すための重要な手段であり、その政治的な意図は明確でした。

また、足利義満は、奈良や厳島いつくしまなど、各地を旅し、自らの権威を示す行動を積極的に行いました。

南北朝時代の終結にも尽力し、南朝との交渉を進め、両統迭立りょうとうてつりつ(二つの皇統から交互に皇位に就くこと)という形での合意を引き出しましたが、最終的には北朝が南朝を吸収する形で統一されました。

1394年には将軍職を足利義持あしかがよしもちに譲り、自らは太政大臣だいじょうだいじん(令制で、国政の最高機関の長官)に就任し、翌年には出家しましたが、その後も政治の実権を握り続けました。

その後、1397年に足利義満が京都に別荘として建てた一部が金閣(現在の金閣寺)です。

さらに、足利義満は明(中国)との外交関係を築き、正式な貿易を開始しました。

足利義満は「日本国王」と呼ばれ、明の皇帝に対してこの肩書で書簡を送っています。

これにより、日本の対外的な地位を高めると共に、大きな経済的利益をもたらしました。

足利義満はどんな人物クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
足利義満が建てた京都の有名な建築物は何でしょうか?

ヒント
この建築物は義満が1397年に別荘として建設をしました。豪華な外観で金箔が張り付けられています。
  • A. 銀閣寺 
  • B. 金閣寺 
  • C. 清水寺
  • D. 龍安寺
解答(男性)
正解はB.金閣寺

 

【穴埋めクイズ問題】

足利義満は室町時代の第3代将軍として、1368年に就任し、幕府の権威を強化しました。義満は京都室町に豪華な「( ① )」を建設し、幕府の拠点を移動させました。また、南北朝の統一に尽力し、1394年に将軍職を足利義持に譲った後、( ② )に就任しました。義満は京都に金閣の元となる別荘を建設し、明との正式な外交と貿易を開始し、「( ③ )」として活動しました。これらの行動により、義満は国際的な地位の向上と経済的利益の拡大に貢献しました。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①花の御所
②太政大臣
③日本国王

 

足利義満の歴史クイズ(索引)