「足利尊氏」の家系図(子孫)とは?わかりやすい解説とクイズ問題
足利尊氏は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将で、室町幕府を創設した人物です。
足利尊氏の家系は多岐にわたり、多くの影響力がある人物を輩出しています。
足利家時は足利尊氏の祖父で、家時は鎌倉幕府の有力御家人として活躍し、北条氏に協力しました。
記録によれば、足利家時は、17歳ですでに式部大夫(式部大夫:式部省の第三等官である丞で五位に叙せられた者の称)という職にあったといわれています。
足利家時の息子である足利貞氏は、足利尊氏の父親であり、やはり幕府の有力御家人として活動しました。
足利家時の死後は、足利貞氏も父の家時と同じ方針を貫き、北条氏に協力しました。
足利貞氏はあくまで北条氏を立て、従順であることで地位を安定させました。
足利尊氏の母は上杉清子で、上杉氏はもともと藤原氏の公家でしたが、武家としての地位を確立しました。
足利尊氏の正室は赤橋登子で、二人の間には複数の子供が誕生しました。
長男の足利義詮は室町幕府の第2代征夷大将軍となり、次男の足利基氏は鎌倉公方(鎌倉公方:鎌倉府で関東8か国と伊豆・甲斐を合わせた10か国を支配した足利氏の称)の初代として関東地方の統治を担いました。
また、娘の鶴王も重要な役割を果たし、足利家の政治的な連携を支えました。
足利尊氏には庶子(庶子:本妻以外の女性から生まれた子)もおり、その中の一人が足利直冬です。
足利直冬は元々公認されていない庶子でしたが、後に認知され、多くの局面で活躍しました。
ただし、足利尊氏との関係は複雑で、時には対立することもありました。
足利尊氏の兄弟としては、足利直義がいます。
足利直義は足利尊氏の弟で、初期の室町幕府運営において重要な役割を果たしました。
しかし、政権内での支持勢力の違いから、兄弟間での対立が生じ、最終的には「観応の擾乱」と呼ばれる内紛に発展しました。
足利直義はこの対立の中で命を落としました。
名前 | 関係 | 説明 |
---|---|---|
足利家時 | 祖父 | 鎌倉幕府の有力御家人。北条氏に協力し、安定した地位を維持した。 |
足利貞氏 | 父 | 足利家時の方針を継ぎ、北条氏への従順な態度で鎌倉幕府内での足利氏の地位を固めた。 |
上杉清子 | 母 | 藤原氏出身で、上杉氏を通じて武家に移行。尊氏を出産。 |
赤橋登子 | 正室 | 北条氏の高い家格出身。尊氏との間に足利義詮、足利基氏、鶴王をもうけた。 |
足利義詮 | 長男 | 室町幕府第2代征夷大将軍。父の後を継ぎ、幕府の基盤を強化。 |
足利基氏 | 次男 | 初代鎌倉公方。関東の統治を担い、地域の平定と文化の振興に努めた。 |
鶴王 | 娘 | 具体的な歴史的記録は少ないが、足利家の一員として室町時代の政治に関与していた可能性がある。 |
足利直義 | 弟 | 初期室町幕府で重要な役割を果たし、尊氏と共に政治を行うが後に観応の擾乱で対立。 |
足利直冬 | 庶子 | 認知された庶子でありながら尊氏とは複雑な関係。後醍醐天皇との戦いで活躍。 |
足利尊氏 | 本人 | 室町幕府初代将軍。鎌倉幕府倒幕後、新たに幕府を開いて日本の歴史に大きな影響を与えた。 |
足利尊氏の家系図(子孫)クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
足利尊氏の弟は誰でしょうか?
- A. 足利直義
- B. 足利義詮
- C. 足利直冬
- D. 足利貞氏
【穴埋めクイズ問題】
足利尊氏は室町幕府の創設者で、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての重要な武将です。祖父の足利家時と父の( ① )は共に鎌倉幕府の有力御家人であり、家時と( ① )はともに北条氏に協力してその地位を確立しました。尊氏の母・上杉清子は藤原氏出身であり、上杉氏は公家から武家へとその地位を変えていました。尊氏の正室・( ② )との間には長男の足利義詮、次男の足利基氏、および娘の鶴王が誕生しました。義詮は室町幕府の第2代征夷大将軍となり、基氏は初代鎌倉公方として関東の統治を担当しました。尊氏には庶子もおり、その中の一人、( ③ )は後に公認されましたが、尊氏との関係は複雑で対立も経験しました。尊氏の弟・足利直義も室町幕府の初期運営に貢献しましたが、政権内の支持勢力の違いから兄弟間での対立が生じ、「観応の擾乱」と呼ばれる内紛が発生しました。そして直義は命を落としました。
( )のことばを答えてみよう!
- 「足利尊氏」は何をした人?
- 「足利尊氏」の年表(生涯)
- 「足利尊氏」はどんな人物?
- 「足利尊氏」の家系図(子孫)→今ココ
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