「足利義満」は何をした人?したことを簡単に解説
足利義満は1358年に、足利義詮の子として生まれます。
父の急逝後、幼くして将軍位を継ぐことになり、足利義満は1368年に室町幕府の3代将軍に就任しました。
幼少期には細川頼之や斯波義将の補佐を受けつつも、成人後は自力での政治力を発揮し始め、「花の御所」を造営し、自身の政権基盤を確立していきました。
また、朝廷内での地位も高め、内大臣や准三后(日本の朝廷における称号)に就任し、武士でありながら高い地位に就きました。
守護大名の力を削ぐために奉公衆と呼ばれる直轄軍を強化します。
1390年の土岐康行の乱、1391年の明徳の乱、そして1399年の応永の乱で、足利義満は守護大名を徹底的に打ち破り、幕府の権力を強化すると同時に、自らの支配下における直轄地を増やしていきました。
特に応永の乱では、西国の強大な大名である大内義弘を討ち取ることで、足利義満の権威が全国に示されました。
これにより、幕府の権威を地方にまで徹底させることに成功し、さらに南北朝時代の終結を成し遂げました。
南北朝統一後は、大陸との貿易を再開させることに力を入れ、日明貿易を通じて国内に富をもたらしました。
これによって室町幕府の経済基盤は大きく強化され、足利義満自身も「日本国王」として明から認識されるようになりました。
文化面においても足利義満は大きく貢献しています。
金閣寺の造営は、足利義満の文化に対する洗練された感性と、時代を超えた美意識を象徴するものとなりました。
また、能楽の保護・振興にも力を入れ、観阿弥・世阿弥父子に支援を提供することで、能が文化として成熟する基盤を作りました。
足利義満は1394年に出家し、幕府の権力はその後も保持しつつ、政治的にも文化的にも時代を先導する存在であり続けました。
出家後も政治に関与し続けた足利義満ですが、1408年に病に倒れ、この世を去ります。
「足利義満」の年表(生涯)
年代 | 出来事 | 詳細な説明 |
---|---|---|
1358年 | 誕生 | 足利二代将軍・足利義詮の子として京都で生まれる。 |
1368年 | 元服 | 10歳で元服し、室町幕府の第3代征夷大将軍に就任。 |
1374年 | 日野業子との結婚 | 16歳で日野業子を正室に迎える。 |
1378年 | 花の御所移転 | 20歳で邸宅を北小路室町に移し、室町幕府の政庁とする。 |
1390年 | 土岐康行の乱 | 兄弟の不和を利用して土岐氏を滅ぼす。 |
1392年 | 南北朝合一 | 三種の神器を北朝に接収(強制的に取り上げること)させる形で南北朝合一を実現。 |
1394年 | 将軍職譲渡 | 足利義持に家督を譲り、自身は太政大臣に就任するが、実権は保持。 |
1395年 | 出家 | 出家し、道義と号する。 |
1397年 | 北山殿造営 | 舎利殿(金閣)を中心とする北山殿を造営。 |
1399年 | 応永の乱 | 大内義弘を討伐し、権力を強化。 |
1401年 | 日明国交 | 日明国交を正式に樹立し、日本国王に冊封される。 |
1404年 | 勘合貿易開始 | 日本国王が皇帝に朝貢する形式で勘合貿易を開始。 |
1408年 | 死去 | 咳病により急死。 |
「足利義満」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題
足利義満は、室町時代の第3代将軍として活躍した人物です。
1358年に生まれ、1368年に父・足利義詮が亡くなった後、将軍に就任しました。
足利義満の時代には多くの守護大名たちが勢力を誇っており、時には幕府に対して反乱を起こすこともありましたが、義満はこれらの反乱を鎮め、幕府の権威を確固たるものにしました。
また、足利義満は京都の室町に「花の御所」と呼ばれる華やかな邸宅を建設し、幕府の拠点をそこに移しました。
これは、幕府の力を内外に示すための重要な手段であり、その政治的な意図は明確でした。
また、足利義満は、奈良や厳島など、各地を旅し、自らの権威を示す行動を積極的に行いました。
南北朝時代の終結にも尽力し、南朝との交渉を進め、両統迭立(二つの皇統から交互に皇位に就くこと)という形での合意を引き出しましたが、最終的には北朝が南朝を吸収する形で統一されました。
1394年には将軍職を足利義持に譲り、自らは太政大臣(令制で、国政の最高機関の長官)に就任し、翌年には出家しましたが、その後も政治の実権を握り続けました。
その後、1397年に足利義満が京都に別荘として建てた一部が金閣(現在の金閣寺)です。
さらに、足利義満は明(中国)との外交関係を築き、正式な貿易を開始しました。
足利義満は「日本国王」と呼ばれ、明の皇帝に対してこの肩書で書簡を送っています。
これにより、日本の対外的な地位を高めると共に、大きな経済的利益をもたらしました。
足利義満はどんな人物クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
足利義満が建てた京都の有名な建築物は何でしょうか?
- A. 銀閣寺
- B. 金閣寺
- C. 清水寺
- D. 龍安寺
【穴埋めクイズ問題】
足利義満は室町時代の第3代将軍として、1368年に就任し、幕府の権威を強化しました。義満は京都室町に豪華な「( ① )」を建設し、幕府の拠点を移動させました。また、南北朝の統一に尽力し、1394年に将軍職を足利義持に譲った後、( ② )に就任しました。義満は京都に金閣の元となる別荘を建設し、明との正式な外交と貿易を開始し、「( ③ )」として活動しました。これらの行動により、義満は国際的な地位の向上と経済的利益の拡大に貢献しました。
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