「足利義満」の政治とは?わかりやすい解説とクイズ問題
足利義満は室町幕府の第3代将軍として、日本の政治の大きな変化を導きました。
足利義満の最初の偉業は、日本統一です。
足利義満は南北朝時代の対立を終結させるために、南朝の後亀山天皇と交渉し、1392年に北朝の後小松天皇に神器の譲渡という形で南北朝の統一を成し遂げました。
これにより、長年にわたる分裂状態が解消され、足利義満の権威が一層確固たるものとなりました。
また、足利義満は京都に花の御所と呼ばれる新しい政治の中心地を築き、ここでの政治活動を通じて室町幕府の名前が生まれました。
この地で足利義満は、公家文化と武家文化の混在する独自の文化政策を展開し、北山文化と称されました。
北山文化は、京都の北山に建てられた金閣に、中国や禅宗の影響を受けた様式が特徴です。
足利義満は国内外の政策においても積極的で、特に明との関係強化を図りました。
1401年から始まる日明貿易(勘合貿易)は、経済的な利益だけでなく、足利義満の政治的な地位をさらに強化しました。
これにより、足利義満は国内外において圧倒的な影響力を誇るようになり、「日本国王」と呼ばれるようになりました。
さらに、足利義満の治世は軍事面でも重要で、義満は直接的な軍事力の整備に努めました。
特に有力守護大名を抑えるための戦略を採り、その権力を強化します。
これにより、幕府の直轄地を増やし、守護を制御下に置く体制を確立し、その結果、室町幕府の権威は全国に広がり、長い間続く安定した支配を確立する基盤を築きました。
足利義満の政治クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
足利義満が南北朝の統一を成し遂げた年はいつですか?
- A. 1301年
- B. 1392年
- C. 1401年
- D. 1412年
【穴埋めクイズ問題】
足利義満は室町幕府の第3代将軍として、( ① )時代の対立を解消し、1392年に( ① )統一しました。この功績で義満の権威は確立されました。( ② )に新たな政治の中心地、花の御所を築き、ここで( ③ )文化という独自の文化政策を推進しました。特に金閣の建築は、中国や禅宗の影響を色濃く反映しています。義満は明との貿易を積極的に行い、日明貿易を通じて国内外の政治的地位を強化しました。また、義満は軍事面でも力を入れ、守護大名を抑制する戦略を実施し、幕府の直轄地を増やしました。これにより、室町幕府の権威は全国に拡がり、長期にわたる安定した支配体制を確立しました。
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