「浅井長政」のエピソードとは?わかりやすい解説とクイズ問題


浅井長政は戦国時代に活躍した武将で、数々のエピソードが注目されています。
浅井長政と織田信長の間には、「長政は信長に勝利できた可能性があった」というエピソードがあります。
1567年、織田信長が美濃を手中に収めた後、足利義昭を奉じての上洛(上洛:京都に行くことであるが、目的は敵対勢力を排除して、中央政権の主導権を握ることを目指すことである)を目論み、そのためには浅井長政の協力が必要であると考えていました。
この重要なタイミングで、浅井長政の家臣たちは織田信長が浅井領内の寺に宿泊するという情報を得て、夜襲(夜襲:夜を利用して敵を襲うこと)をかける絶好の機会と見たのですが、浅井長政はこれを拒否しました。
家臣たちは織田信長が将来的に浅井家にとって脅威になり得ると考え、信長を討つことで浅井長政が自ら上洛する道を開くこともできたかもしれません。
しかし、浅井長政は卑怯な手段を取ることを好まず、また自身が織田信長を討った後に尾張や美濃を統率する自信がないという現実的な判断から、この提案を断りました。
この選択は、後に浅井長政が織田信長と足利義昭の上洛を支援することにつながり、信長の権力基盤を強化する一因となりました。
しかし、その後織田信長は約束を破り越前の朝倉氏に攻め込み、これが両者の同盟関係の破綻につながりました。
浅井長政の人柄については、義理堅さと優しさが際立っています。
お市の方との関係では、政略結婚であったにも関わらず深い絆を築き、織田信長との同盟が破綻してからも夫婦関係を続けたことが知られています。
また、浅井長政の遺したものからは、家族や家臣への深い愛情も見て取れます。
特に、浅井長政が小谷城の落城を前に家臣に宛てた感状(感状:戦功があったものに対して、主君や上官が与える賞状)は、長政自らの終焉を悟りつつも家臣への感謝を示したものでした。
また、浅井長政は自らと家族の命運が尽きる時、織田信長に対して敵意ではなく、お市の方と子どもたちの安全を最優先に考える選択をしました。
浅井長政のエピソードクイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
織田信長が、足利義昭を奉じての上洛を目論み始めた頃に浅井長政がとった行動は何でしょうか?

- A. 織田信長と足利義昭の上洛を支援した
- B. 織田信長が浅井領内の寺に宿泊する時に夜襲した
- C. 織田信長に代わり浅井長政自身が上洛できないか交渉した
- D. 浅井長政が尾張や美濃を統制した
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【穴埋めクイズ問題】
浅井長政は1567年、織田信長の上洛計画に際して、信長を( ① )で討つという家臣の提案を卑怯として拒否し、その代わりに信長と足利義昭の上洛を支援しました。この決断は織田信長の権力基盤強化に貢献するものでしたが、信長が後に( ② )への攻撃で長政との約束を破ることで、両者の同盟は破綻します。長政の義理堅さと優しさは、お市の方との深い絆で特によくあらわれています。小谷城の落城時には家臣への( ③ )を示す感状を残し、自らと家族の命運が尽きる際には、敵意よりも家族の安全を優先しました。
( )のことばを答えてみよう!
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