「北条泰時」は何をした人?したことを簡単に解説
1183年に生まれた北条泰時は、北条義時の長男として、幼少期から鎌倉幕府の中心で育ちました。
北条義時と同様に、北条泰時もまた幕府の重要な役割に就き、幕府の政治や軍事に深く関わることとなります。
特に有名な出来事は、1221年に起こった承久の乱です。
この乱は、幕府に対して後鳥羽上皇が起こした反乱であり、北条泰時は幕府軍の総大将としてこの危機を鎮圧しました。
北条義時の死後、北条泰時は幕府の執権(鎌倉幕府の将軍を補佐する役職のこと)として実権を握り、幕府の内政を一新することに専念します。
その業績の一つが、日本初の武家法典「御成敗式目」の制定です。
これにより、武家社会の秩序が整備され、幕府の統治基盤が強化されました。
また、評定衆(鎌倉幕府の最高機関として設置された機関)の設立により、幕府の政治体制を合議制へと移行させ、幕府政治を安定させることに成功しました。
さらに北条泰時は、朝廷との関係にも深く関与しました。
特に、後嵯峨天皇の即位問題では、幕府の強硬な姿勢を貫き、幕府と朝廷の関係性に新たな前例を作り出しました。
これにより、幕府の政治的影響力が朝廷にまで及ぶこととなり、幕府と朝廷の間の力関係に変化をもたらしました。
1242年、北条泰時は60歳でこの世を去りました。
長男・北条時氏および次男・北条時実が既に亡くなっていたため、孫・北条経時が後を継ぎました。
「北条泰時」の年表(生涯)
年代 | 出来事 | 詳細説明 |
---|---|---|
1183年 | 誕生 | 北条義時の長男として生まれる。幼名は金剛。 |
1194年 | 元服 | 源頼朝から「頼」の字を贈られ「北条頼時」と名乗る。 |
1199年 | 源頼家に仕える | 2代将軍源頼家に仕え、その後、父・北条義時と共に政治活動を行う。 |
1213年 | 和田合戦 | 和田義盛を排除するための合戦で活躍し、その功績で遠田郡の所領を与えられるが辞退。 |
1219年 | 鎌倉幕府の管理 | 3代将軍源実朝が暗殺された後、幕府の政治において中心的役割を担う。 |
1221年 | 承久の乱 | 承久の乱で鎌倉幕府軍の総大将として勝利に貢献。その後、京都で戦後処理を行う。 |
1224年 | 3代執権に就任 | 父・北条義時が死去後、相続争いを経て3代執権に就任。 |
1232年 | 御成敗式目の制定 | 日本初の武家法「御成敗式目」を制定し、武家社会の制度を整備。 |
1230年 | 寛喜の飢饉 | 寛喜の飢饉による社会不安を受け、食糧供給の安定化などの対策を講じる。 |
1242年 | 死去 | 60歳で病没。 |
「北条泰時」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題
北条泰時は、鎌倉幕府の第3代執権として知られる人物で、その生涯は、武家政権の確立と発展に大きく貢献しました。
北条泰時は、鎌倉幕府の実質的なトップとして政治を担い、幕府の内部構造を改革しました。
北条泰時は集団指導制を導入し、幕府の政策決定や訴訟の決断を、自身と叔父の北条時房、および評定衆という有力な御家人11名で構成された集団で行う体制を確立しました。
これにより、一部の権力者による専制政治から、より多くの声が反映される政治体制へ移行しました。
また、北条泰時は、承久の乱の後に全国の御家人の間で起こった紛争を解決するため、「御成敗式目」という幕府の基本の法典を作成しました。
これは日本初の武家法典とされ、武士が統治する上での道徳や倫理観を確立し、後の法律にも影響を与えました。
北条泰時は道理を重んじる裁定で知られ、公正な判断を下すことで尊敬されましたが、泰時の家庭では、子供を次々と失うという不幸に見舞われました。
また、政務の多忙さや朝廷との関係などによるストレスが原因で病に倒れ、59歳で亡くなりました。
北条泰時が亡くなった後も、泰時が築いた武家政権の礎は、その後600年も続いていきます。
北条泰時はどんな人物クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
鎌倉幕府の第3代執権についた人物は誰でしょうか?
- A. 北条時政
- B. 北条義時
- C. 北条泰時
- D. 北条時宗
【穴埋めクイズ問題】
北条泰時は鎌倉幕府第3代執権で、幕府の内部構造を改革し、( ① )を導入して多くの声が反映される政治体制を確立しました。また、「( ② )」という日本初の武家法典を作成し、武士の道徳や倫理観を確立しました。公正な裁定で尊敬されましたが、家庭では( ③ )を次々と失い、政務の多忙さや朝廷との関係によるストレスが原因で病死し、59歳で亡くなりました。泰時が築いた武家政権の礎はその後600年も続いていきます。
( )のことばを答えてみよう!
- 「北条泰時」は何をした人?
- 「北条泰時」の年表(生涯)
- 「北条泰時」はどんな人物?→今ココ
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