「北条泰時」と評定衆とは?わかりやすい解説とクイズ問題
「北条泰時」と評定衆について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
評定衆は、鎌倉時代に北条泰時によって設置された鎌倉幕府の最高機関の一つです。
1225年に始まり、複数の人が政務や裁判などを担当する合議制という体制が特徴です。
この機関の設立は、幕府の政治をより安定させ、効率的な運営を図るために行われました。
評定衆のメンバーは初め、北条氏や有力な御家人、文士(作家)から11人選ばれ、政務の決定や裁判を行う重要な役割を果たしていました。
北条泰時が評定衆を設立した背景には、承久の乱後の政治の不安定さや、御家人たちの間の力関係の変動があります。
北条泰時はこれを安定させるため、有力御家人を政治に参加させ、合議制による意思決定を導入したのです。
評定衆は、裁判を含むさまざまな政務を担当し、1232年には鎌倉時代の武家法として知られる「御成敗式目」の制定にも関与しました。
これにより、武家社会の法的基盤が確立され、幕府の支配構造が強化されたとされています。
北条泰時と評定衆クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
鎌倉幕府の評定衆は何年に設置されましたか?
評定衆が設置されたのは、鎌倉時代の中期頃、北条泰時が幕府の安定化を図るための改革の一環として行われました。
- A. 1110年
- B. 1167年
- C. 1225年
- D. 1468年
正解はC.1225年
【穴埋めクイズ問題】
北条泰時によって1225年に設置された( ① )は、鎌倉幕府の最高機関の一つで、合議制を取り入れた政治・裁判の執行機関です。( ① )の設立は、承久の乱後の政治の不安定さを解消し、効率的な政府運営を目指すためであり、北条氏や有力な御家人、文士から選ばれた( ② )人がメンバーとして活動しました。この機関は「( ③ )」の制定にも関与し、武家社会の法的基盤と幕府の支配構造を強化しました。
( )のことばを答えてみよう!
①評定衆
②11
③御成敗式目
北条泰時の歴史クイズ(索引)