「織田信長」の家系図(子孫)とは?武勇と政略による家族の運命
4択クイズ問題
Q1
織田信長の父の名前は何でしょう?
- A. 織田信太
- B. 織田信秀
- C. 織田信忠
- D. 織田信雄
Q2
織田信長の正室の名前は何でしょう?
- A. 濃姫(帰蝶)
- B. お市の方
- C. 土田御前
- D. 細川ガラシャ
Q3
織田信長の嫡男(正室が生んだ長男)で、本能寺の変で亡くなったのは誰でしょう?
- A. 織田勝長
- B. 織田信正
- C. 織田信秀
- D. 織田信忠
Q4
織田信長の次男で北畠家の家督を相続したのは誰でしょう?
- A. 織田信忠
- B. 織田信雄
- C. 織田信孝
- D. 於次丸
Q5
織田信長の孫で、本能寺の変後に豊臣秀吉の支援を受け、織田家の家督を相続したのは誰でしょう?
- A. 織田信高
- B. 織田信貞
- C. 織田秀信
- D. 織田勝長
穴埋めクイズ問題
織田信長の家系図は、信長の父である( ① )が尾張国を代表する武将になるところから始まります。信長自身は多くの子どもを側室との間にもうけたものの、正室の濃姫(帰蝶)との間には子どもがいませんでした。信長の嫡男(本来は正室が生んだ長男の意味であるが、濃姫には子供がおらず、養子ともいわれている)織田( ② )は信長の後継者と見なされ、本能寺の変で父と共に亡くなりました。次男の織田信雄は北畠家の家督を相続し、現代まで子孫が続いています。三男の織田信孝は自害を命じられ、四男の於次丸(羽柴秀勝)は若くして病死し、五男の織田勝長は本能寺の変で討死しました。信長の七男と九男の子孫は明治時代まで高家旗本として存続しました。孫の織田秀信(三法師)は本能寺の変後に( ③ )家の家督を相続しましたが、関ヶ原の戦い後に出家し、若くして亡くなりました。
( )のことばを答えてみよう!
「織田信長」の家系図(子孫)をわかりやすく解説
織田信長の父は織田信秀です。信秀は身分は低かったですが、尾張各地、西三河までを一時期は支配し、尾張国を代表とする武将となりました。
織田信長の母は土田御前で、大うつけ(大ばかもの)と呼ばれた信長より、信長の弟であり礼儀正しい信勝(信行)を可愛がっていたといわれています。
織田信長は、正室の濃姫(帰蝶)との間には子どもがいませんでしたが、側室との間に20人以上の子どもをもうけ、その多くが元服(12〜16歳ですが、諸説あり)を迎えるまで生き延びたことが記録されています。
織田信長の嫡男(本来は正室が生んだ長男の意味であるが、織田信忠は養子ともいわれている)である織田信忠は、信長の最も信頼を寄せた子どもであり、本能寺の変まで信長の後継者と見なされていました。
織田信忠は多くの武勲を挙げ、美濃国東部と尾張国の一部を治めていましたが、本能寺の変で父とともに命を落としました。
織田信長の次男・織田信雄は、北畠具房の養嗣子となり、北畠家の家督を相続し、戦国時代から江戸時代にかけて生き延び、その子孫は現代まで続いています。
三男の織田信孝は、神戸氏の養子となりましたが、兄の信雄との対立の末、賤ヶ岳の戦いで敗北し、自害を命じられました。
四男の於次丸(羽柴秀勝)は豊臣秀吉の養嗣子となり、若くして病死しました。
五男の織田勝長は、遠山氏の養子となり、本能寺の変で兄とともに討死しました。
織田信長の子孫の中で、七男の織田信高と九男の織田信貞の子孫は、高家旗本として徳川将軍家に仕え、明治時代まで存続しました。
織田信長の孫である織田秀信(三法師)は、信長の嫡男・信忠の長男で、本能寺の変後に豊臣秀吉の支援を受けて織田家の家督を相続しましたが、関ヶ原の戦い後に出家し、若くして亡くなりました。
名前 | 関係性 | 説明 |
---|---|---|
織田信秀 | 父 | 尾張各地、西三河までを一時期支配し、尾張国を代表する武将。 |
土田御前 | 母 | 信長より、礼儀正しい弟の信勝(信行)を可愛いがる。 |
織田信長 | 本人 | 正室の濃姫(帰蝶)との間に子どもはなく、側室との間に20人以上の子どもをもうける。 |
織田信忠 | 長男(嫡男) | 信長の後継者と見なされ、本能寺の変で命を落とす。 |
織田信雄 | 次男 | 北畠具房の養嗣子となり、北畠家の家督を相続。 |
織田信孝 | 三男 | 神戸氏の養子となり、兄・信雄と対立、賤ヶ岳の戦いで敗北し自害。 |
於次丸(羽柴秀勝) | 四男 | 豊臣秀吉の養嗣子として迎えられ、若くして病死。 |
織田勝長 | 五男 | 遠山氏の養子となり、本能寺の変で兄とともに討死。 |
織田信高 | 七男 | 徳川家に仕える高家旗本として子孫が明治時代まで存続。 |
織田信貞 | 九男 | 徳川家に仕える高家旗本として子孫が明治時代まで存続。 |
織田秀信(三法師) | 孫 | 本能寺の変後に豊臣秀吉の支援を受け織田家の家督を相続。 |
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