「大谷吉継」の病気とは?わかりやすい解説とクイズ問題
「大谷吉継」の病気について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
大谷吉継は、戦国時代末期に活躍した武将で、病と闘いながらも石田三成との深い友情によって歴史にその名を刻みました。
大谷吉継が患っていたのは、ハンセン病という皮膚の病気です。
戦国時代には、この病気は体や顔から膿が出るといわれており、大谷吉継は顔を白い布で覆い隠すことがしばしばありました。
病状が進行し、最終的には視力を失い、歩行が困難になるなど、才能を十分に発揮することが難しかったですが、大谷吉継は石田三成との深い友情を背景に、関ヶ原の戦いで西軍に属して戦いました。
この戦いでは、病に苦しみながらも2000の兵を率いて戦い、視力を失っているにもかかわらず、輿(人が乗り、担ぐもの)に乗って指揮を取りました。
最終的に大谷吉継は関ヶ原の戦いで敗れて、自害してしまいました。
大谷吉継の病気クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
大谷吉継がかかっていた病気は何でしょうか?
戦国時代には、この病気は体や顔から膿を出すような症状を引き起こすといわれており、大谷吉継は顔を隠すように白い布で覆っていたとされています。
- A. はしか
- B. 肺炎
- C. 結核
- D. ハンセン病
正解はD.ハンセン病
【穴埋めクイズ問題】
大谷吉継が患っていたハンセン病は、体と顔に膿が出るという症状で、吉継の外見を大きく変え、白い布で( ① )を覆っていました。最終的には視力が無くなるに至るほど進行しました。晩年は日常生活にも深刻な影響を受け、( ② )が困難になるなど、吉継の生活を大きく制限しました。この病にもかかわらず、吉継は石田三成との強い絆を背景に関ヶ原の戦いで西軍に属し、( ③ )を失ったにもかかわらず輿に乗って戦うなど、武将としての責務を果たそうとしましたが、戦いに敗れ自害しました。
( )のことばを答えてみよう!
①顔
②歩行
③視力
大谷吉継の歴史クイズ(索引)