「大友宗麟」の死因とは?わかりやすい解説とクイズ問題
「大友宗麟」の死因について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
大友宗麟は戦国時代に豊後国を支配した武将で、キリシタン大名としても知られています。
晩年、大友宗麟は様々な試練に直面しました。
織田信長への早期の恭順(おとなしく命令に従うこと)、本能寺の変後の混乱、そして島津氏や龍造寺隆信との絶え間ない争いがありました。
これらの困難の中で、大友宗麟は1586年に豊臣秀吉に救援を要請しましたが、四国勢が戸次川の戦いで大敗し、宗麟は島津氏の脅威にさらされ続けました。
大友宗麟の死因に関しては、1586年に既に病気を抱えており、これが悪化したとの説があります。
その病気は腸チフス(チフス菌という菌が原因の病気)に感染したという説が有力です。
1587年に病気で亡くなる際にはカトリックの教えに従って祈りを捧げながら、享年58歳でこの世を去りました。
死後、キリスト教式の葬儀が行われた後、大友宗麟の息子である大友義統によって、さらに仏式の葬儀へと変更されるなど、宗麟の遺体は死してなお複雑な扱いを受けました。
これは大友義統がキリスト教と仏教で度々改宗していたことで、二度葬儀が行われました。
大友宗麟の死因クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
大友宗麟は2回葬儀が行われましたが、それはなぜでしょうか?
大友宗麟の息子である大友義統のある出来事がきっかけで二回行うことになりました。
- A. 大友宗麟の遺言に従ったため
- B. 家臣たちの間で意見が分かれたため
- C. 1回目の葬儀で来られなかった人たちのため
- D. 大友義統がキリスト教と仏教で改宗していたため
正解はD. 大友義統がキリスト教と仏教で改宗していたため
【穴埋めクイズ問題】
大友宗麟の死因は、1586年に既に抱えていた( ① )が悪化した結果とされ、その( ① )は腸チフスに感染したという説が有力です。宗麟は1587年、( ② )の教えに従い祈りを捧げながら、享年58歳で亡くなりました。死後、息子の大友義統によって( ② )式の葬儀が行われた後、仏式の葬儀に変更されるなど、宗麟の遺体は複雑な扱いを受けました。これは大友義統が( ② )と( ③ )の間で改宗を繰り返していたためです。
( )のことばを答えてみよう!
①病気
②キリスト教
③仏教
大友宗麟の歴史クイズ(索引)
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