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「真田昌幸」は何をした人?どんな人物?年表・城・逸話・エピソードまとめクイズ問題

真田昌幸

「真田昌幸」と真田幸村の関係とは?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「真田昌幸」と真田幸村の関係について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

真田昌幸と真田幸村(本名:真田信繁さなだのぶしげ)は、親子の関係でした。

真田昌幸は信濃しなのの小大名として時代の流れを読み、生き延びる術を知る策略家でした。

この真田昌幸の血を引き継ぎ、真田幸村は次男として1567年に生まれました。

少年期から父の真田昌幸が仕えた上杉氏など、主君の家に人質として出され、厳しい時代の中で成長しました。

関ケ原の戦いの前、真田昌幸は徳川家康の会津征伐あいづせいばつに従軍中、石田三成からの勧誘を受けると、息子たちと真田家の将来について真剣に話し合いました。

この際、真田幸村と真田昌幸は西軍への参加を決め、一方で長男の真田信之さなだ のぶゆきは東軍につくこととなり、真田家はどちらが勝っても生き残るという選択をしました。

1600年、関ヶ原の戦いは始まり、真田幸村は真田昌幸と共に徳川秀忠とくがわひでただの大軍と戦うことになりました。

この時、真田幸村は父と共に上田城で徳川秀忠軍を迎え撃ち、策略をもって大軍を足止めすることに成功しました。

しかし、西軍の敗北により、真田家は徳川家康に降伏し、真田昌幸と真田幸村は九度山くどやま幽居ゆうきょ(幽居:世を避けてひきこもって静かに暮らすこと)することになります。

真田昌幸はこの地で病に倒れ、真田幸村は大坂の陣が始まると、豊臣方として再び戦場に立ち、東軍に対して壮絶な戦いを繰り広げました。

真田昌幸と真田幸村の関係クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
真田昌幸と真田幸村の関係は何でしょうか?

ヒント
真田幸村は1567年に生まれ、少年期から幸村の父が仕えた上杉家など、主君の家に人質として出されることがありました。
  • A.  真田幸村は真田昌幸の父
  • B.  真田幸村は真田昌幸の次男
  • C.  真田幸村は真田昌幸の三男
  • D.  真田幸村は真田昌幸の長男
解答(男性)
正解はB.  真田幸村は真田昌幸の次男

 

【穴埋めクイズ問題】

真田昌幸と真田幸村(真田信繁)は( ① )関係でした。昌幸は策略を巧みに使い、時代の変化を生き抜いた小大名です。幸村は昌幸の( ② )として産まれ、若い頃から厳しい状況の中で成長し、父の知恵と自身の武勇を以て、家族の生存戦略を共に練りました。関ヶ原の戦いでは共に徳川秀忠の軍に立ち向かい、一時は大軍を足止めすることに成功しました。しかし西軍の敗北後、昌幸と幸村の両名は( ③ )に幽居し、この地で昌幸は病死しました。幸村は大坂の陣で再び戦い、豊臣方として壮絶な最後の戦を展開しました。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①親子
②次男
③九度山

 

真田昌幸の歴史クイズ(索引)

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