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「真田幸村(真田信繁)」は何をした人?どんな人物?年表・エピソードまとめクイズ問題

真田幸村(真田信繁)

「真田幸村」の死因・最後とは?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「真田幸村」の死因・最後について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

真田幸村(真田信繁)の最後は1615年の大坂夏の陣で討ち取られたと広く認識されています。

大坂夏の陣は、徳川家康が豊臣家を滅亡させるために行われた合戦で、真田幸村は豊臣家の側で戦いました。

この戦いでは、真田幸村が率いる部隊は徳川家康の本陣に迫るほどの奮戦を見せましたが、最終的には徳川軍の援軍により力尽きます。

真田幸村が討たれた場所は大阪市天王寺区てんのうじく安居神社やすいじんじゃとされ、疲労困憊して休息しているところを、徳川軍の松平家の武将である西尾宗次にしお むねつぐによって討ち取られたと伝えられています。

安居神社には現在でも真田幸村の像や戦死跡の碑が立てられています。

真田幸村の辞世の句とされる言葉は、大阪夏の陣が始まる前に親族に送った手紙に書かれたもので、不安定な世の中に生きる潔い覚悟を示しています。

また、安居神社で討ち取られる際、「この首を手柄にされよ」という言葉を残したとも言われ、その人生の終わり方は真田幸村の潔さと男らしさを物語っています。

真田幸村には影武者がいたとの話もあり、大阪夏の陣で討ち取られたのは影武者だったという生存説も存在します。

実際に合戦後に徳川家康の前には複数の「真田幸村の首」が並べられたといわれ、本物の幸村の首とされるものは特徴的な欠けた歯や兜の形で認定されました。

しかし、最も信憑性があるのは、大坂夏の陣で真田幸村が討ち取られ、その生涯を閉じたという話です。

真田幸村の死因・最後クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
真田幸村は何の戦いで命を落としたと言われているでしょうか?

ヒント
この戦いで徳川軍の松平家の武将である西尾宗次によって討ち取られたと伝えられています。
  • A. 第二次上田合戦
  • B. 大阪冬の陣
  • C. 忍城の戦い
  • D. 大阪夏の陣
解答(男性)
正解はD. 大阪夏の陣

 

【穴埋めクイズ問題】

真田幸村の最後は、1615年の( ① )で徳川家康の軍に対して激戦の末、大阪市天王寺区にある( ② )神社で討ち取られたと広く認識されています。幸村は豊臣家のために戦い、その勇敢な奮闘は家康の本陣に迫るほどでしたが、最終的に徳川軍の援軍により敗れました。死の際、幸村は疲労困憊し、休息中に( ③ )によって討たれました。生前、幸村は「この首を手柄にされよ」という言葉を遺し、その人生の終わりは幸村の潔さと男らしさを象徴しています。また、影武者がいたという話もあるものの、大坂の陣で討ち取られたのは真田幸村本人というのが信憑性が高いといわれています。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①大坂夏の陣
②安居
③西尾宗次

 

真田幸村の歴史クイズ(索引)

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