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「真田幸村(真田信繁)」は何をした人?どんな人物?年表・エピソードまとめクイズ問題

真田幸村(真田信繁)

「真田幸村」の有名な戦いとは?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「真田幸村」の有名な戦いついて、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

真田幸村(真田信繁)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて活躍した武将であり、その生涯で数々の戦いに身を投じました。

特に、小田原征伐関ヶ原の戦い、そして大坂の陣におけるその活躍は後世まで語り継がれています。

1590年、真田幸村は20歳の若さで忍城おしじょう松井田城まついだじょうの攻略に参加し、初陣を飾りました。

この戦いは北条家の滅亡をもたらし、沼田領が真田家に返還される契機となりました。

1600年、真田幸村は30歳で関ヶ原の戦いに父の真田昌幸さなだまさゆきと共に西軍として参加しました。

上田城で38,000人の徳川軍を迎え撃ちましたが、敗北しました。

1614年、真田幸村は44歳で息子の真田幸昌と共に大坂城へ入城し、大坂冬の陣で五人衆の一人として軍事会議に参加しました。

真田丸さなだまるの築城を許可され、徳川家康からの寝返りの誘いを拒否しました。

大坂冬の陣では、豊臣軍と徳川軍が衝突し、真田幸村の指揮する真田丸は徳川軍を撃退するなど、豊臣方の勝利に大きく貢献しました。

その後、和睦わぼく(和睦:争いをやめて和解すること)の条件として真田丸は破壊され、大坂城の外堀が埋められ、豊臣氏は城での戦いが困難になりました。

1615年、大坂夏の陣では真田幸村は銃撃戦の末に徳川方の伊達政宗軍を一時的に後退させました。

しかし、徳川軍の勝利により豊臣家は滅亡し、真田幸村は「この首を手柄にされよ」との言葉を残して、徳川方の武将に討ち取られました。

真田幸村の有名な戦いクイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
真田幸村が父の真田昌幸と共に西軍として参加した戦いは何でしょう?

ヒント
この戦いは徳川家康率いる東軍と、毛利輝元、石田三成率いる西軍が戦いました。
  • A. 関ヶ原の戦い
  • B. 長篠の戦い
  • C. 慶長の役
  • D. 姉川の戦い
解答(男性)
正解はA. 関ヶ原の戦い

 

【穴埋めクイズ問題】

真田幸村は戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、1590年に( ① )と松井田城攻略で初陣を飾り、北条家の滅亡後、沼田領が真田家に戻るきっかけを作りました。1600年、幸村は真田昌幸と共に関ヶ原の戦いに参加し、上田城で徳川軍に立ち向かいましたが敗北しました。1614年には大坂城に入城し、( ② )で真田丸の築城を主導し、徳川軍に対抗しましたが、和睦により戦略的不利を強いられました。続く1615年の( ③ )では、徳川軍に対して勇敢に戦いましたが、幸村は最終的に討たれ、豊臣家の滅亡と徳川家康の政権確立のきっかけとなりました。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①忍城
②大坂冬の陣
③大坂夏の陣

 

真田幸村の歴史クイズ(索引)

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