歴史の偉人イラスト素材はこちら

「真田幸村(真田信繁)」は何をした人?どんな人物?年表・エピソードまとめクイズ問題

真田幸村(真田信繁)

「真田幸村」と徳川家康の関係とは?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「真田幸村」と徳川家康の関係について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

真田幸村(真田信繁)と徳川家康の関係は、戦国時代の終わりから江戸時代の始まりにかけての時代背景の中で形成されました。

真田家はもともと武田信玄との関係で武田家の武将となり、信濃に勢力をもっていました。

しかし、武田家が織田信長によって滅ぼされた後、徳川家康が旧武田領に侵攻を始めると、真田家はこれに対抗して戦いました。

特に真田幸村の父である真田昌幸さなだまさゆきは小数の軍勢で徳川軍の大軍を山中で巧みにあしらう戦術で知られ、真田家の名声を高めました。

この時期から徳川家康と真田家との間の緊張関係が始まります。

関ヶ原の戦いでは、真田家は西軍に属し、徳川家康の後継者である徳川秀忠の軍を足止めすることに成功しましたが、戦いは東軍の勝利に終わります。

この結果、真田家は一時的に衰退するものの、真田幸村は後に大阪冬の陣大阪夏の陣で豊臣側として再び徳川家康と対峙します。

特に大阪夏の陣では、真田幸村は徳川家康の本陣に迫るほどの活躍を見せましたが、最終的には戦死します。

真田幸村と徳川家康は生涯にわたり、対立し続けましたが、その勇敢さと戦術の巧みさは敵味方双方から高く評価されました。

真田幸村と徳川家康の関係クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
1614年に真田幸村が徳川家康の本陣に迫るほどの活躍を見せた戦いは何でしょう?

ヒント
この戦いで真田幸村は徳川軍に討ち取られました。
  • A. 関ケ原の戦い
  • B. 大阪夏の陣
  • C. 大阪冬の陣
  • D. 小田原の戦い
解答(男性)
正解はB. 大阪夏の陣

 

【穴埋めクイズ問題】

真田幸村と徳川家康の関係は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけてに渡ります。真田家が最初は武田信玄と結びついていたことから始まり、武田家滅亡後に徳川家康がその領地に進出した際、真田家はこれに抵抗しました。特に真田昌幸は、徳川家康の大軍に対抗する巧妙な戦術で知られ、真田家の名声を高めました。( ① )の戦いでは、真田家は西軍に属し、徳川秀忠の軍を足止めしましたが、結果として東軍の勝利に終わり、真田家は衰退します。しかし、幸村は大阪冬の陣と夏の陣で豊臣側として家康に再度挑みました。( ② )では徳川家康の本陣に迫る活躍を見せたものの、戦死しました。幸村と家康は生涯にわたり( ③ )し続けました。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①関ヶ原
②大阪夏の陣
③対立

 

真田幸村の歴史クイズ(索引)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


error: 右クリックはできません。