「武田信玄」の有名な戦いとは?わかりやすい解説とクイズ問題
武田信玄は、戦国時代を代表する武将で、その生涯において多くの戦いを経験しました。
特に有名な戦いは、上杉謙信との川中島の戦いと、徳川家康を圧倒した三方ヶ原の戦いです。
川中島の戦いは、武田信玄と上杉謙信が信濃国北部の支配権を巡って5度にわたり衝突した一連の合戦です。
この戦いの地は越後国と甲斐国を結ぶ重要な地点であり、肥沃(肥沃:土地がよく肥えていて、農作物がよくできること)な土地としても知られていました。
第1次合戦は更科八幡の戦い・布施の戦いで、上杉謙信の支援を受けた村上義清が勝利を収めました。
第2次合戦は犀川の戦いで、犀川を挟んで両軍が対峙し、200日もの間対陣を続けましたが、武田信玄側の駿河の今川義元が仲介し、和解が提案されました。
第3次合戦は上野原の戦いで、武田軍は上杉軍が豪雪の越後で身動きとれない時期を狙って、善光寺西北の葛山城を攻めて落城させました。
上杉軍は雪解けを待って4月に武田方に奪われていた北信濃の城を次々と攻め落としました。
8月下旬には上野原で合戦を行いますが、全面衝突とはならず、決着はつきませんでした。
特に1561年の第4次合戦である八幡原の戦いは、双方が大軍を率いての激しい戦いとなり、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの伝説が生まれた戦いとしても知られています。
しかし、これらの戦いに明確な勝者はおらず、双方が相手に大きな打撃を与えることなく終わりました。
第5次合戦は塩崎の対陣と呼ばれ、2か月にわたり両者はにらみ合い、決戦は避けて対陣で終わりました。
こうして約12年にも及ぶ川中島の戦いは決着がつかないまま終わりました。
一方で、三方ヶ原の戦いでは、武田信玄は徳川家康に大勝利を収めました。
1572年に発生したこの戦いでは、武田信玄が大軍を率いて徳川家康の領土である遠江に侵攻しました。
徳川家康は浜松城に立て籠もりますが、武田軍の強さの前に大敗をきっしました。
この勝利により、武田信玄はその存在感を強く印象づけることに成功しました。
武田信玄の有名な戦いクイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
武田信玄と上杉謙信が5度にわたり衝突した川中島の戦いのうち、武田軍が善光寺西北の葛山城を攻めて落城させたのは何の戦いでしょう?
- A. 三方ヶ原の戦い
- B. 犀川の戦い
- C. 上野原の戦い
- D. 八幡原の戦い
【穴埋めクイズ問題】
武田信玄は戦国時代に多くの合戦に参加し、特に上杉謙信との( ① )の戦いと徳川家康に勝利した( ② )の戦いで知られています。川中島の戦いは約12年間にかけて信濃国北部で行われ、( ③ )度にわたる合戦が繰り広げられました。これらの戦いはどちらも決定的な勝利には至らず、最終的には双方に大きな損害を与えることなく終結しました。その中で、第4次合戦は特に激しい戦闘が行われ、信玄と謙信の一騎打ちの伝説が生まれました。一方、1572年の( ② )の戦いでは、信玄が家康を大いに圧倒し、その軍事力を示しました。
( )のことばを答えてみよう!
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