「藤原道長」の政治とは?わかりやすい解説とクイズ問題
藤原道長は平安時代の最も影響力のある人物の一人です。
藤原道長の政治戦略は、自らの権力を確固たるものにするために計画的かつ巧妙に展開されました。
藤原道長は、天皇家と密接な関係を築くことに成功し、自分の娘たちを次々と天皇や皇太子に嫁がせることで、摂関政治(摂関政治:天皇の外戚として摂政や関白あるいは内覧といった要職を占め、政治の実権を代々独占し続けた政治体制)を確立しました。
この政治は、天皇の親族として政治に大きな影響力を持つ「外戚政策」として知られています。
最初の大きな動きは、999年に長女の藤原彰子を一条天皇の中宮にすることで始まりました。
これに続いて、他の娘たちも皇后や中宮として入内し、藤原家の影響力をさらに拡大しました。
また、藤原道長は、自ら摂政(摂政:幼帝・女帝に代わってすべての政務をとった役職)に就任することで天皇家との関係を強化し、自分の孫が天皇になることを見据えて、その支配を長期にわたって確立しました。
1017年には摂政を息子の藤原頼通に譲り、藤原道長は裏から政治を操る立場を選びました。
このようにして、藤原道長は実質的な権力を行使し続け、その政治的影響力は息子や孫にも引き継がれていきました。
藤原道長の時代、摂政や関白(関白:天皇を補佐して、政務をつかさどる重職)は、実質的な政務を代行する役割を担っていました。
しかし、藤原道長が関白にならなかった理由は、関白よりも左大臣(左大臣:律令制で、太政官の長官にあたり、太政大臣の次位、右大臣の上位にあって、政務を統轄した者)の地位で政治における影響力を持つ方が効果的だと判断したからです。
左大臣として、藤原道長は政策決定に直接的に関与し続けることができました。
さらに、内覧(内覧:天皇に奉る文書や、天皇が裁可する文書など一切を先に見ること、またはその令外官の役職)という立場を利用して天皇に奉る文書に目を通す権利も手に入れ、天皇に近い存在として権力を行使し続けることができました。
藤原道長の政治クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
藤原道長が築いた政治はなんでしょうか?
- A. 摂関政治
- B. 幕藩体制
- C. 武家政治
- D. 建武の新政
【穴埋めクイズ問題】
藤原道長は平安時代の人物で、緻密な戦略により自らの権力を強化しました。道長は天皇家との結びつきを深め、自分の娘たちを天皇や皇太子に嫁がせることで、( ① )を築きました。これにより、藤原家の影響力は飛躍的に増大しました。また、道長自身が( ② )として直接権力を握り、後には息子の藤原頼通にその地位を譲りましたが、政治の裏方として影響力を保持し続けました。道長は関白という地位を選ばず、( ③ )としてより実質的な政治力を行使し続ける道を選びました。これにより、後に道長は内覧に就き、天皇に奉る文書にも目を通す権利を確保して、政治において中心的な役割を果たしました。
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