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「平清盛」は何をした人?どんな人物?年表・政治・貿易・エピソードまとめクイズ問題

平清盛
この記事を通じてわかること
歴史博士
平清盛は何をした人なのか、そしてどういう人物だったのか。平清盛の歴史や生涯をわかりやすく解説し、クイズ問題にしています。解説のあとに、4択クイズ穴埋めクイズがあるので挑戦してみて下さい。
助手ねこ
クイズに答えながら、平清盛について楽しく学んでいけるで〜♪

「平清盛」は何をした人?したことを簡単に解説

『天子摂関御影』の清盛肖像
『天子摂関御影』清盛肖像(三の丸尚蔵館所蔵) 画像出典:wiki
歴史博士
まずは平清盛が何をした人なのかをわかりやすく簡単に説明するね。
助手ねこ
よっしゃ!平清盛が何をした人なのかを簡単に知っとこう!ほないくで〜♪

平清盛たいらのきよもりは伊勢平氏の出身で、平忠盛たいらのただもりの長男として1118年に生まれました。

平清盛の功績は多岐たきにわたります。

まず、平清盛は保元ほうげんの乱(1156年)と平治へいじの乱(1159年)において活躍を果たしました。

後白河天皇側に立って活躍し、武家としての地位を確固たるものにしました。

特に平治の乱では源義朝を討ち、平家の勢力を大きく伸ばしました。

1167年、平清盛は武家としては初めて太政大臣だいじょうだいじん(律令制度における最高位の役職)に就任し、これにより武家の政治参加という新たな潮流を築きました。

太政大臣としての任期は短かったものの、この地位への就任は前代未聞であり世間を驚かせました。

平清盛は福原ふくはら(現在の神戸市)に別荘を造営し、そこを自らの拠点としました。

これは、後に京都から福原への遷都を試みるきっかけとなります。

また、平清盛は日宋貿易にっそうぼうえきを大いに推進し、宋銭そうせんを流通させることで通貨経済の基礎を築きました。

この貿易により、清盛は莫大ばくだいな富を築き上げ、平家の繁栄の基盤を作りました。

厳島神社の整備も平清盛の功績の一つです。

清盛はこの神社を深く信仰し、その整備に力を入れました。

厳島神社いつくしまじんじゃは後に国宝に指定されるなど、文化的にも重要な遺産となっています。

平清盛の政治的な動きは、一時期は成功を収めましたが、次第に後白河法皇との関係が悪化し、1177年の鹿ヶ谷しかがたに陰謀いんぼうをはじめとする政治的な摩擦まさつが生じます。

結局、治承3年の政変で後白河法皇を幽閉するに至りますが、これが平家に対する反感を呼び、源頼朝らによる源平合戦へとつながります。

1181年、平清盛は熱病により64歳でこの世を去ります。

清盛の死後、平家は壇ノ浦の戦いで滅亡します。

「平清盛」の年表(生涯)

歴史博士
年表を使って、「平清盛」の歴史や生涯を見てみましょう。
年代 出来事の概要 詳細な説明
1118年 平清盛の誕生 平忠盛の長男として誕生。
1129年 12歳での任命 従五位下じゅごいげ左兵衛佐さひょうえのすけに任命され、武士としては異例の出世を果たす。
1137年  肥後守ひごのかみとなる 父・平忠盛の西国海賊討伐の功績を受けて、肥後守に任じられる。
1153年 平氏の棟梁とうりょうとなる 平忠盛の死後、平氏一門の棟梁を継ぐ。
1156年 保元の乱 保元の乱が勃発。朝廷内の権力争いで、後白河天皇側につき勝利。平氏の軍事力を確立する。
1159年 平治の乱 政治的な対立から平治の乱が勃発。源氏を破り、権力を固める。
1161年 朝廷との同盟 後白河天皇の息子・以仁王もちひとおうと自らの娘を結婚させ、朝廷内での平氏の影響力をさらに強化。
1167年 太政大臣に就任 武士として初めて太政大臣に就任し、キャリアの頂点に達する。
1177年 鹿ケ谷の陰謀 鹿ケ谷の陰謀が発覚。平氏に対する朝廷貴族の不満が明らかになる。
1179年 朝廷の掌握 クーデターを実行し、反対派を追放。朝廷を直接平氏が掌握する。
1180年 隠居 清盛は隠居し、息子の宗盛にリーダーシップを譲るが、舞台裏で力を保持し続ける。
1181年 死去 64歳で熱病にて死去。
助手ねこ
ここからは「平清盛」について深く知るためにさらなる解説歴史クイズ問題のスタートやでぇ〜!ワイは歴史めっちゃ好きやねん!楽しみやわ〜♪

「平清盛」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「平清盛」がどんな人物なのか、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

平清盛は、平安時代末期に活躍した武将で、平氏一族の全盛期を築き上げた人物です。

1118年に生まれ、1181年に63歳で亡くなるまでの生涯で、政治、経済、文化に多大な影響を与えました。

平清盛の最大の功績は、武士として初めて太政大臣だいじょうだいじんに就任したことです。

その結果、武士の地位を大いに高める結果となりました。

また、平清盛は娘を高倉天皇のきさきに送り込むことで、平氏一族の朝廷内での影響力を強め、政治面での権力を確立しました。

経済面では、日宋貿易にっそうぼうえきに力を入れ、瀬戸内海の航路を整備し、宋銭そうせん(宋銭:中国の宋代に鋳造された銭貨)の輸入により日本の貨幣経済を発展させました。

また、平清盛は海との繋がりを重視し、大輪田泊おおわだのとまりを整備することで、日宋貿易の発展に貢献しました。

これらの活動は、当時の経済に大きな影響を与えました。

文化面では、世界遺産にも登録されている厳島神社いつくしまじんじゃを現在の姿に改修したことが知られています。

政治的には、保元ほうげんの乱平治へいじの乱を通じて源氏を抑え込みました。

その後、後白河法皇ごしらかわほうおうとの対立を経て、院政いんせい(院政:上皇や法皇が天皇に代わって院中で行った政治)を辞めさせ、孫の安徳天皇あんとくてんのうを即位させることで、事実上の独裁政治を行いました。

しかし、この強権的な政治は多くの反感を買い、源氏の挙兵を招くことになります。

平清盛の死後、平氏の勢力は急速に衰え、わずか4年で滅亡しました。

平清盛はどんな人物クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
平清盛が武士として初めて就任した役職は何でしょうか?

ヒント
律令制度と呼ばれる体制における最高位の役職のことで、平清盛がこの役職についたことで武士の地位を高めました。
  • A.  神祇官
  • B.  衛門府
  • C.  弾正台
  • D.  太政大臣
解答(男性)
正解はD.  太政大臣

 

【穴埋めクイズ問題】

平清盛は平安時代末期に活躍した武将であり、平氏の全盛期を築いた中心人物です。生まれは1118年で、1181年に63歳で亡くなりました。その生涯を通じて政治、経済、文化に深い影響を与えました。特に注目すべきは、武士として初めて( ① )に就任し、武士の地位を大いに高めたこと、平氏一族の朝廷内での影響力を強化したこと、( ② )を発展させて経済に貢献したこと、そして厳島神社の改修など文化面での功績が挙げられます。政治的には保元の乱や平治の乱で源氏を抑え、( ③ )との対立後には独裁政治を行いましたが、その政治が反感を呼び、源氏の挙兵を招いた結果、清盛の死後わずか4年で平氏は滅亡しました。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①太政大臣
②日宋貿易
③後白河法皇

 

平清盛の歴史クイズ(索引)