「北条義時」は何をした人?したことを簡単に解説
北条義時は1163年に、北条時政の次男として生まれます。
姉には源頼朝の正室である北条政子がいて、幼少期から北条家は伊豆の地で頼朝を監視する役割を担っていましたが、やがて頼朝との関係を深め、平氏打倒の挙兵にも参加します。
源頼朝の死後、北条義時は幕府内の権力闘争を生き抜き、父北条時政と共に幕府の実権を掌握します。
特に比企能員の変においては、北条時政と共に比企一族を滅ぼし、幕府内での自らの地位を強固にしました。
これらの行動は、幕府内の不穏な動きを抑え、中央集権的な政治体制を築く基盤となりました。
北条義時の生涯の中で最も有名な出来事は、承久の乱における義時の対応です。
この乱は、後鳥羽上皇が幕府に対して挑んだもので、幕府と朝廷の権力闘争が顕著に表れた事件でした。
北条義時はこの乱を鎮圧し、上皇を流罪に処することで、幕府の権威を全国に示しました。
この勝利により、幕府の権力はより一層強固なものとなり、以後、幕府が朝廷を支配する基盤が確立されました。
北条義時の治世においては、幕府の制度も整備され、武家政権としての基盤が強化されました。
しかし、その一方で、権力の集中による反発や不満も根強く、北条時政や将軍家との軋轢も見られました。
北条時政が源実朝を暗殺しようとした事件が起きましたが、北条義時はこれを阻止し、最終的には時政を追放する決断を下します。
この出来事は、北条義時が幕府内で絶対的な地位を確立した象徴的な事件とされています。
北条義時の晩年は、幕府の権威を確立したものの、1224年に病死するまで政敵との闘争や権力の維持に追われる日々でした。
「北条義時」の年表(生涯)
年代 | 出来事の概要 | 詳細な説明 |
---|---|---|
1163年 | 誕生 | 北条時政の次男として誕生。平治の乱の頃、源氏と平氏が争う時代背景。 |
1180年 | 源頼朝の挙兵に参加 | 石橋山の戦いなど、源頼朝の挙兵に参加し、平氏との戦いに貢献。 |
1199年 | 13人の合議制になる | 源頼朝死後、幕府の実権を巡る争いの中で13人の合議制に参加。政治の中心人物となる。 |
1203年 | 源頼家の追放 | 比企能員の変を経て、北条時政が源頼家を追放し、源実朝が将軍になる。 |
1213年 | 和田義盛の討伐 | 泉親衡のクーデター計画が発覚し、関連した和田義盛を討伐。北条義時が侍所別当に。 |
1219年 | 源実朝が暗殺される | 公暁によって殺害される。源氏直系の血筋が絶える。 |
1221年 | 承久の乱が勃発 | 後鳥羽上皇が倒幕を企てて挙兵。承久の乱が始まる。 |
1224年 | 死去 | 承久の乱から3年後に亡くなる。死因は不明だが、暗殺説もある。 |
「北条義時」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題
北条義時は、鎌倉時代初期を代表する武将であり、鎌倉幕府第2代執権として活躍しました。
1163年に北条時政の次男として生まれ、1224年に病気で亡くなりました。
北条義時が生まれた時代の特徴は、政治の実権が公家から武家に移行しようとしていた転換期で、源頼朝の挙兵と平氏が打倒されました。
北条義時は若い頃から源頼朝に仕え、石橋山の戦いなどでその才能を発揮し、頼朝の信頼を得て、寝所祇候衆(頼朝の身辺警護をする役割)に選ばれるなど、頼朝政権下で重要な地位を占めるようになり、その後、鎌倉幕府の創建にも深く関わります。
源頼朝の死後、幕府の実権をめぐる争いが激化し、北条義時は父である北条時政と共に政治の表舞台に立ち、幕府の体制を強化する一方で、比企氏の排除など内部の対立を解決することで幕府の統一を図りました。
父の後を継ぎ、執権に就任した後は、幕府の権威を確固たるものにし、北条義時の姉の北条政子と協力して幕府の全国的な支配体制を確立しました。
北条義時の印象深い出来事として挙げられる、承久の乱は、後鳥羽上皇が幕府に反旗をひるがえす事件で、義時は幕府の軍を率いて勝利します。
この勝利により、幕府と朝廷の力関係が完全に逆転し、鎌倉幕府の支配が全国に及ぶようになりました。
しかし、北条義時の生涯は突然の終わりを迎えます。
1224年、病死とされるものの、その死には謎が多く、様々な憶測を呼びました。
死後、北条義時の遺志は息子の北条泰時に受け継がれ、北条氏の支配はさらに固められていきます。
北条義時はどんな人物クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
北条義時の生まれた年は何年でしょうか?
- A. 1010年
- B. 1122年
- C. 1163年
- D. 1245年
【穴埋めクイズ問題】
北条義時は鎌倉時代初期の武将で、鎌倉幕府の第2代執権を務めました。1163年に( ① )の次男として誕生し、1224年に亡くなるまで、時代の変動に対応しながら幕府の基盤を強化し、全国的な支配体制を築きました。( ② )のもとでの活躍から始まり、幕府の創建に深く関与しました。( ② )の死後は、内部の対立を解決し、幕府の統一を図りました。執権としての義時の時代は、姉の( ③ )との協力により幕府の権威を不動のものにし、承久の乱での勝利によって幕府と朝廷の力関係を逆転しました。突然の死後、義時の遺志は息子の北条泰時に引き継がれました。
( )のことばを答えてみよう!
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