「後醍醐天皇」は何をした人?したことを簡単に解説
後醍醐天皇は、1288年に大覚寺統に属する後宇多天皇の第二皇子として生まれ、幼い頃から皇族としての教育を受けました。
後醍醐天皇が即位したのは1318年のことで、これは鎌倉幕府が弱体化していく中での出来事でした。
即位後も幕府による天皇の管理は続き、後醍醐天皇の治世初期は幕府の影響下にありましたが、後醍醐天皇自身はこの状況に不満を抱いており、次第に幕府打倒の志を強めていきます。
1324年、後醍醐天皇は初めての倒幕計画を企てますが、この計画は発覚し、失敗に終わりました。
しかし、後醍醐天皇は諦めず、再び幕府打倒を計画します。
この時期、幕府への不満は武士の間にも広がっており、後醍醐天皇のもとには多くの同志が集まりました。
1331年、後醍醐天皇は再度挙兵し、この反乱は元弘の乱として知られるようになります。
しかし、再び失敗し、後醍醐天皇は隠岐の島へと流されることになります。
隠岐の島での生活は厳しいものでしたが、後醍醐天皇は決して諦めることなく、1333年に脱出に成功します。
脱出後、後醍醐天皇は再び軍を挙げ、この時には幕府に不満を持つ多くの武士が後醍醐天皇の旗下に集まり、鎌倉幕府はついに滅亡しました。
幕府打倒後、後醍醐天皇は建武の新政を開始します。
この政策は理想的な天皇中心の政治を目指したものでしたが、現実は理想とは大きく異なりました。
新政は多くの武士からの支持を得られず、特に足利尊氏の反発を招きます。
やがて足利尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻し、これが南北朝時代の始まりとなりました。
南北朝時代が始まると、後醍醐天皇は吉野に南朝を立て、自らが正統な天皇であると主張しました。
しかし、室町幕府の成立とともに、その影響力は次第に衰えていきます。
後醍醐天皇は1339年に亡くなりましたが、その遺志は南朝の皇族によって受け継がれ、南北朝の争いは長く続きました。
「後醍醐天皇」の年表(生涯)
年代 | 出来事 | 詳細説明 |
---|---|---|
1288年 | 後醍醐天皇誕生 | 後醍醐天皇が京都に生まれる。 |
1318年 | 即位 | 大覚寺統と持明院統の争いの中、皇太子として選ばれ、最終的に天皇に即位する。 |
1324年 | 正中の変 | 後醍醐天皇の倒幕計画が幕府に発覚するが、天皇は処罰されず、近臣たちが処罰される。 |
1331年 | 元弘の変 | 後醍醐天皇が挙兵するも敗れ、隠岐に流される。 |
1333年 | 隠岐から脱出 | 隠岐から脱出する。この時期、鎌倉幕府が滅亡。後醍醐天皇が京に戻り、光厳天皇を廃位して再び即位する。 |
1334年 | 建武の新政開始 | 建武の新政を開始。 |
1335年 | 中先代の乱 | 足利尊氏が反旗を翻し、建武政権と対立する。 |
1336年 | 南北朝時代の始まり | 建武の新政が崩壊し、南北朝時代の始まり。後醍醐天皇が吉野に脱出し、南朝を開く。 |
1339年 | 後醍醐天皇崩御 | 吉野の地で崩御。享年52歳。 |
「後醍醐天皇」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題
後醍醐天皇は1288年に生まれ、1318年から1339年まで天皇に在位しました。
後醍醐天皇は醍醐天皇と村上天皇も理想とした、平安時代中期の政治である「延喜・天暦の治」を目指しました。
これは、天皇が直接政治を行うことを意味しており、後醍醐天皇は天皇が政治の主導権を握るべきと考え、院政を廃止して自ら政治を手がけました。
後醍醐天皇は、幕府が自身の政治の主導権を握る障害であると見なし、討幕の意志を持っていました。
討幕を目指す過程で、幕府に対する二度の挑戦はいずれも失敗に終わり、二度目には島流しにされるほどの重罰を受けました。
しかし、討幕の決意は固く、隠岐島から脱出して再び挙兵し、ついには鎌倉幕府を倒すことに成功しました。
幕府を倒した後、後醍醐天皇は天皇を中心とする新たな政治として、「建武の新政」を立ち上げました。
これは、自らの理想とする政治を実現するためのものでしたが、実行に移す過程で武士たちの支持を得られず、足利尊氏との対立を深めてしまいました。
結果的に、足利尊氏によって新政は約2年半で終わりを告げ、尊氏は室町幕府を開いて新たな時代を築きました。
しかし、後醍醐天皇は諦めず、自らが真の天皇であると主張しました。
そして、南朝として独立し、足利尊氏の北朝と対立する南北朝時代の幕が開けました。
後醍醐天皇はどんな人物クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
後醍醐天皇が立ち上げた政治は何でしょうか?
- A. 幕藩体制
- B. 摂関政治
- C. 建武の新政
- D. 武家政治
【穴埋めクイズ問題】
後醍醐天皇は、1318年から1339年まで在位した天皇で、「( ① )」を目指し、幕府に挑戦した人物です。院政を廃止し、幕府が自身の政治実現の障害であると見なして討幕の意志を持ちました。二度の失敗と島流しの苦難を乗り越え、( ② )を倒して建武の新政を立ち上げたものの、武士たちの支持を得られずに足利尊氏と対立しました。そして、最終的には室町幕府の樹立を許すこととなりました。しかし、後醍醐天皇は南朝として独立し、北朝との対立を深めることで( ③ )時代を引き起こしました。
( )のことばを答えてみよう!
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