「後醍醐天皇」の政治とは?わかりやすい解説とクイズ問題
「後醍醐天皇」の政治について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒し、1333年に天皇中心の新たな政治である建武の新政を始めました。
後醍醐天皇は、平安時代の政治を理想とし、天皇が直接政治を行う体制を復活させようとしましたが、この政策は武士の間で不満を引き起こし、足利尊氏が挙兵する原因となりました。
建武の新政は、公家と武家を平等に扱うという名目の下、実際には公家に優遇政策をとっていたため、武士に与えられる恩賞は限られていました。
さらに、鎌倉幕府を倒す過程で、後醍醐天皇は足利尊氏や新田義貞などの武士の力を借りながら、その後の政治運営では武士を軽視し、公家中心の政策を進めました。
これにより、後醍醐天皇のもとでの新政は、約2年半で終わりを迎えました。
その後、後醍醐天皇は京都から追放され、足利尊氏は武士の不満を背景に武家政治の再興を目指して挙兵しました。
これにより、建武の新政は失敗に終わり、南北朝時代に突入することとなりました。
後醍醐天皇の政治クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
後醍醐天皇が始めた建武の新政は、誰が中心の政策だったでしょうか?
後醍醐天皇は、平安時代の政治を理想としました。
- A. 豪族
- B. 武士
- C. 国王
- D. 公家
正解はD. 公家
【穴埋めクイズ問題】
後醍醐天皇は1333年、鎌倉幕府を打倒後、平安時代の天皇親政を模範とした( ① )を実施しました。この政治体制では、( ② )と武家の平等を掲げつつ、実際には( ② )を優遇し、武士の不満を招きました。その結果、( ③ )が武士の不満を背景に武家政治の再興を目指して挙兵し、( ① )は約2年半で終わりを迎えました。後醍醐天皇は京都から追放され、後に南北朝時代が始まりました。
( )のことばを答えてみよう!
①建武の新政
②公家
③足利尊氏
後醍醐天皇の歴史クイズ(索引)