「後醍醐天皇」の後の天皇とは?わかりやすい解説とクイズ問題
「後醍醐天皇」の後の天皇について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
後村上天皇は、南北朝時代の天皇で、後醍醐天皇の第七皇子です。
後醍醐天皇から皇位を継承し、1368年に亡くなりました。
在位期間は1339年から1368年までです。
後村上天皇の母は新待賢門院廉子で、後村上天皇の元々の名前は義良親王でした。
1333年、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒すと、義良親王は北畠顕家らによって陸奥国へ送られました。
そして、義良親王は建武の新政のもとで活動し、足利尊氏との対立が深まる中、軍を率いて幾度となく尊氏追討に挑みました。
1339年、後醍醐天皇は譲位し、義良親王が後村上天皇として即位しました。
即位後、後村上天皇は吉野ではなく京都での政権の回復を目指して様々な地を転戦しましたが、結果としてそれを達成することはできませんでした。
その後、賀名生に遷幸(遷幸:天皇が他の場所に移ること)し、足利尊氏との和平を実現しましたが、再び足利氏による攻撃を受け、多くの困難に直面しました。
最終的に後村上天皇は摂津国住吉で亡くなりました。
後醍醐天皇の後の天皇クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
後醍醐天皇の後に皇位を継承した後村上天皇の元々の名前は何でしょうか?
後村上天皇は後醍醐天皇の第七皇子で、母は新待賢門院廉子です。
- A. 懐良親王
- B. 義良親王
- C. 世良親王
- D. 恒良親王
正解はB. 義良親王
【穴埋めクイズ問題】
後村上天皇は、南北朝時代の天皇で、後醍醐天皇の第七皇子です。母は新待賢門院廉子で、元の名前は( ① )でした。鎌倉幕府滅亡後、足利尊氏との対立の中で幾度も追討に挑みました。1339年には後醍醐天皇の後を継ぎ、即位します。在位中は吉野ではなく京都での政権の回復を目指し、様々な地を転戦するも果たせず、( ② )への遷幸や足利尊氏との和平後も多くの困難に直面しました。最終的に後村上天皇は( ③ )で亡くなりました。
( )のことばを答えてみよう!
①義良親王
②賀名生
③摂津国住吉
後醍醐天皇の歴史クイズ(索引)