「北条時宗」の家系図(子孫)とは?わかりやすい解説とクイズ問題
「北条時宗」の家系図(子孫)について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
北条時宗は、1251年に相模国鎌倉で生まれ、北条時頼と葛西殿の間の子として産まれました。
北条時宗の兄弟としては、母が異なる兄である北条時輔と、同母の弟である北条宗政がいます。
北条時輔は側室の子であったため、北条時宗が正室の子としてより正式な後継者と見なされ、時宗は、兄の時輔に優先して跡継ぎとされました。
北条時宗の正室は、安達義景の娘である堀内殿で、二人の間には北条貞時が生まれました。
北条時宗と堀内殿の結婚は、幕府の有力御家人である安達氏と得宗家との関係を強化する政略結婚でしたが、二人の仲は良好であったと伝えられています。
北条時宗と堀内殿の間に生まれた北条貞時は、幼名を幸寿丸と言い、時宗の死後わずか13歳で鎌倉幕府の第9代執権に就任しました。
その北条貞時を支えたのは、安達泰盛でした。
名前 | 関係 | 説明 |
---|---|---|
北条時頼 | 父 | 鎌倉幕府の第5代執権、北条時宗の政治的地位を強化するために努力した |
葛西殿 | 母 | 北条重時の娘で北条時頼の正室 |
堀内殿 | 正室 | 安達義景の娘で、北条時宗との間に北条貞時をもうけた |
北条時宗 | 本人 | 鎌倉幕府の第8代執権、北条時頼と葛西殿の子で堀内殿と結婚し、北条貞時の父 |
北条貞時 | 子 | 北条時宗と堀内殿の子で、幼名幸寿丸、13歳で鎌倉幕府の第9代執権に就任 |
北条時輔 | 異母兄 | 北条時頼と側室の子で、初めは時頼の長男だったが、後に北条時宗の下に位置付けられた |
北条宗政 | 同母弟 | 北条時宗の弟で、北条重時の孫 |
北条時宗の家系図(子孫)クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
北条時宗の兄は誰でしょうか?
この人物は北条時宗の異母兄であり、この人物が側室の子であったため、時宗が正室の子としてより正式な後継者と見なされました。
- A. 北条時輔
- B. 北条貞時
- C. 北条宗政
- D. 北条時頼
正解はA. 北条時輔
【穴埋めクイズ問題】
北条時宗は( ① )と葛西殿の間に生まれました。時宗には異母兄の北条時輔と同母弟の( ② )がいます。時宗の正室である堀内殿との間には息子の( ③ )が生まれました。時宗と堀内殿の結婚は政略結婚でありましたが、二人の関係は良好でした。( ③ )は幼名が幸寿丸として知られ、父の時宗の死後、13歳で鎌倉幕府の第9代執権となり、その( ③ )を支えたのは安達泰盛でした。
( )のことばを答えてみよう!
①北条時頼
②北条宗政
③北条貞時
北条時宗の歴史クイズ(索引)
- 「北条時宗」は何をした人?
- 「北条時宗」の年表(生涯)
- 「北条時宗」はどんな人物?
- 「北条時宗」と元寇
- 「北条時宗」の家系図(子孫)→今ココ
- 「北条時宗」の死因
- 「北条時宗」と北条政子の関係
- 「北条時宗」の寺
- 「北条時宗」と執権