「北条時宗」と執権とは?わかりやすい解説とクイズ問題
北条時宗は鎌倉時代中期の鎌倉幕府第8代執権として、1268年から1284年まで在任しました。
北条時宗の執権就任は18歳の時であり、その若さにもかかわらず、幕府の最高権力者としての責任を担うこととなりました。
北条時頼の次男であり、得宗家としての立場を継承していました。
北条時宗の在任期間は、モンゴル帝国の圧力が高まる中で、日本に対する二度の襲来があった時期にあたります。
執権としての北条時宗の最大の試練は、蒙古襲来(元寇)です。
これに対し、北条時宗は日本全国の武士団を統一する重要な役割を果たしました。
特に、亀山上皇からの支持を得て、上皇の宣旨(宣旨:天皇の意向を下達すること)を利用し、全国の武士に対して戦いに備えるよう命じました。
この統一された体制は、元の軍を撃退する上で重要な役割を果たしました。
元の襲来に対する防衛策として、北条時宗は九州における防衛体制の強化に努め、多くの現地の武士団と共に戦いを指揮しました。
その中には、肥後国の御家人である竹崎季長も含まれ、博多湾での戦いで活躍を見せました。
北条時宗の政治的な取り組みにおいては、連署(連署:執権の補佐役で、幕府内では執権に次ぐ権力を持った役職)としての役割を経て執権に在任しており、幕府内の寄合政治(寄合政治:幕府の最高幹部である寄合による合議制政治)の確立に貢献しました。
北条政村や北条実時と共に、寄合体制を通じて幕府の政策を形成し、実行していたことが記録されています。
北条時宗と執権クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
北条時宗が執権在任期間中に起きた出来事は何でしょうか?
- A. 承久の乱
- B. 元寇
- C. 奥州合戦
- D. 元弘の乱
【穴埋めクイズ問題】
北条時宗は鎌倉幕府の第8代執権として、1268年から1284年まで在任しました。北条時頼の次男として得宗家を継ぎ、18歳で執権に就任しました。その在任期間は、モンゴル帝国の脅威が高まる中で、日本への二度の襲来が発生した時期です。時宗は( ① )の支持を受け、全国の武士団を統一し、元の軍を撃退する重要な指導を行いました。また、九州地方の防衛体制の強化を指揮し、幕府の( ② )政治の確立にも貢献しました。北条政村や( ③ )と共に、幕府の政策を形成し実行していったと記録されています。
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