「北条義時」の死因とは?わかりやすい解説とクイズ問題
「北条義時」の死因について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
北条義時の最期は、1224年の夏頃、脚気と暑気あたりによる病死と記録されています。
この時、北条義時は62歳で、当時の平均寿命を大幅に上回る長寿であったと言えます。
北条義時は、『吾妻鏡』という歴史書に、脚気と霍乱(暑気あたり)によって亡くなったと記されています。
脚気は慢性的なビタミンB1の不足により起こる病気で、神経系の障害や心臓機能の衰弱、むくみなどを引き起こします。
これまで食されていた玄米や雑穀に比べて、白米はビタミンB1が少なく、北条義時のような地位の高い人達は白米を主食としていた可能性が高く、これがビタミンB1不足に繋がったと考えられます。
さらに、暑い時期に暑気あたりを併発したことも、体が弱っていた北条義時の病状を悪化させた一因であるとされています。
北条義時の死因クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
北条義時が亡くなった理由となった病気は暑気あたりと何でしょうか?
北条義時のような地位が高い人は、これまで食べていた玄米から白米を食べるようになり、それによりビタミンB1が不足し、この病気になりました。
- A. くる病
- B. 脚気
- C. 夜盲症
- D. 壊血病
正解はB.脚気
【穴埋めクイズ問題】
北条義時の最期は1224年夏頃に、病死しました。義時が( ① )歳で亡くなったことは、当時の平均寿命を考えると非常に長生きしました。『( ② )』の内容によると、義時の死因は脚気と霍乱であったと記されています。脚気はビタミンB1不足が原因で、心臓機能の衰弱やむくみなどを引き起こし、鎌倉時代に、高い地位にあった義時がビタミンB1が少ない白米を多く摂取したことが、病気の一因となった可能性があるといわれています。さらに、夏になり、病気で弱っていた義時は( ③ )により、病状が悪化し、亡くなりました。
( )のことばを答えてみよう!
①62
②吾妻鏡
③暑気あたり
北条義時の歴史クイズ(索引)
[…] 北条義時 […]