「源義経」の兄とは?わかりやすい解説とクイズ問題
源義経は源義朝の九男で、兄には長男の源義平、次男の源朝長、三男の源頼朝、四男の源義門、五男の源希義、六男の源範頼、七男の阿野全成、八男の源義円がいます。
源義平は若くして多くの戦いに挑みました。
しかし、平治の乱で敗れた後、敵方に捕らえられ、命を落としました。
源朝長は、幼い頃から高い位に就いていましたが、平治の乱の途中で重傷を負い、父である源義朝に殺してもらいました。
源頼朝は、鎌倉幕府の初代将軍です。
圧倒的なリーダーシップで源氏・東国御家人をひとつにまとめ上げ、平家滅亡を成し遂げました。
しかし、源義経と源頼朝は後に対立することとなりました。
源義経と源頼朝の対立は、源氏の内部における権力争いと、二人の間の個人的な不信感から生じました。
源義経は壇ノ浦の戦いでの活躍により平家を滅ぼし英雄となりましたが、その成功は源頼朝の嫉妬を呼び、兄弟間の緊張を高めました。
源義経が源頼朝の命令なしに後白河法皇からの任官を受けたこと、また義経の独立心が強かったことが、頼朝の不信感をさらに深め、最終的には義経を敵と見なすに至りました。
この対立は、追い込まれた源義経が奥州で自刃するという結末に終わります。
源義門は、母が源頼朝と同じく熱田神宮大宮司の藤原季範の娘である由良御前といわれ、早世したと伝えられています。
源希義は、土佐に流され、計画していた挙兵も叶うことなく討たれました。
源範頼は、兄弟の中で最も軍事的な成功を収めたと言えます。
弟の源義経と共に多くの戦いで活躍し、一時は幕府内での高い地位を築きました。
しかし、政治的な紛争に巻き込まれ、最終的には失脚し、最期を遂げました。
阿野全成は、源氏内部の権力争いと外部からの圧力など、政治的な対立の中で命を落としました。
源義円は、叔父である源行家と共に平家に対抗するため挙兵しましたが、墨俣川の戦いで討たれました。
源義経の兄クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
平治の乱で敗れた後、敵方に捕らえられ、命を落とした源義経の兄は誰でしょうか?
- A. 源義門
- B. 源頼朝
- C. 源義円
- D. 源義平
【穴埋めクイズ問題】
源義経は源義朝の九男として産まれました。義経の8人の兄たちは源氏の中でさまざまな生涯をおくりました。長男の源義平は若くして多くの戦いに挑むも平治の乱で捕らえられ、命を落としました。次男の( ① )は平治の乱で重傷を負い、父の源義朝によって殺してもらいました。三男の( ② )は鎌倉幕府の初代将軍として源氏と東国御家人をまとめ上げ、平家を滅ぼしました。しかし、源義経との間に対立が生じ、義経は最終的に自刃することになりました。四男の源義門は早世しました。五男の源希義は土佐に流され、計画していた挙兵も叶わず討たれました。六男の源範頼は軍事的な成功を収めるも、政治的紛争で失脚し、最期を迎えました。七男の阿野全成は政治的対立で命を落としました。八男の( ③ )は叔父の源行家と共に平家に対抗し挙兵するも、墨俣川の戦いで討たれました。
( )のことばを答えてみよう!
[…] 源義経 […]