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「静御前」は何をした人?どんな人物?年表・墓・子供・エピソードまとめクイズ問題

静御前
この記事を通じてわかること
歴史博士
静御前は何をした人なのか、そしてどういう人物だったのか。静御前の歴史や生涯をわかりやすく解説し、クイズ問題にしています。解説のあとに、4択クイズ穴埋めクイズがあるので挑戦してみて下さい。
助手ねこ
クイズに答えながら、静御前について楽しく学んでいけるで〜♪

「静御前」は何をした人?したことを簡単に解説

肉筆画で描写された白拍子姿の静御前(葛飾北斎筆、北斎館蔵、文政3年(1820年)頃)
白拍子姿の静御前(北斎館蔵) 画像出典:wiki
歴史博士
まずは静御前が何をした人なのかをわかりやすく簡単に説明するね。
助手ねこ
よっしゃ!静御前が何をした人なのかを簡単に知っとこう!ほないくで〜♪

静御前しずかごぜんは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、白拍子しらびょうしです。

静御前は磯禅師いそのぜんじの娘として生まれ、京都府京丹後市きょうたんごしが出生地とされています。

白拍子とは、詩吟しぎんや和歌を歌いながら舞う女芸者であり、静御前はその名手として知られていました。

静御前の舞は神がかり的な力を持ち、静御前が舞うことで雨が降ったという伝説も残っています。

静御前はまた、源義経に最も愛された女性の一人であり、二人の関係は『吾妻鏡あづまかがみ』などの歴史書に記録され、能や歌舞伎の題材としても取り上げられています。

そして源義経との悲劇的な恋愛関係でもよく知られています。

源義経は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の異母弟いぼていで、平氏を滅ぼす功績で知られる人物です。

しかし、後に源頼朝と対立し、朝敵として追われる身となります。

源義経と静御前の関係は、義経が源頼朝に追われる身となっても変わらず、義経を一途に愛し続けました。

源義経との別れの後、静御前は源頼朝に捕らえられ、鎌倉へと連れて行かれます。

鎌倉では源頼朝の前で舞を奉納することになり、この際に源義経への深い愛と悲しみを込めた歌を披露しました。

静御前の真摯しんしな歌は、源頼朝の妻・北条政子の心を打ち、静御前の命を救うことに繋がりました。

しかし、幸せは長くは続かず、静御前が身籠みごもっていた源義経の子は、源頼朝の命令により生後間もなく殺される運命となりました。

静御前のその後の人生については詳細が不明であり、どこでどのように人生を終えたかは謎に包まれています。

「静御前」の年表(生涯)

歴史博士
年表を使って、「静御前」の歴史や生涯を見てみましょう。
年代 出来事の概要 詳細な説明
不明 誕生 生年や父親については記録がない。
1182年 雨を降らせる 神泉苑しんせんえんでの雨乞いで雨を降らせ、後白河法皇ごしらかわほうおうから賞賛される。
1185年 源義経と出会う 京で源義経に見初みそめられ、愛妾あいしょうとなる。
1185年 吉野に逃れる 源義経と共に大物浦だいもつのうらから船で西国へ下ろうとするが、嵐で難破。九州落ちに失敗し、吉野山へ逃れる。
1185年 鎌倉方に捕まる 吉野で捕まり、北条時政ほうじょうときまさの下へ送られる。
1186年 鎌倉に届けられる 母・磯禅師と共に鎌倉へ送られ、北条時政の屋敷に入る。
1186年 鶴岡八幡宮で舞う 源頼朝と北条政子の前で源義経を慕う歌と舞を披露する。
1186年 男児を出産 静御前は源義経の子を出産するが、男児は由比ヶ浜ゆいがはまに沈められて殺される。
1186年 京に戻る 母と共に京に戻る。
不明 その後 京や嵯峨野さがので尼となったという説があるが、全国に墓が点在しており、この後の静御前の消息は不明。
助手ねこ
ここからは「静御前」について深く知るためにさらなる解説歴史クイズ問題のスタートやでぇ〜!ワイは歴史めっちゃ好きやねん!楽しみやわ〜♪

「静御前」はどんな人物?わかりやすい解説とクイズ問題

歴史博士
「静御前」がどんな人物なのか、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
解説

静御前は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した女性で、源義経みなもとのよしつねの側室としても知られています。

静御前は磯禅師いそのぜんじの娘で、幼い頃から舞や和歌を習い、白拍子としての道を歩みました。

白拍子とは、主に男装の遊女や子供が、当時流行の歌や舞を披露する芸能者を指しています。

静御前と源義経の関係は深く、義経が京都に帰還した1184年に二人は関係を深め、静御前は後に義経と共に逃亡生活を送ることになります。

しかし、静御前は1185年に源義経と別れることとなりました。

その後は鎌倉で源義経の異母兄である源頼朝の厳しい尋問に耐えながらも、義経の居場所を決して話さなかったといわれています。

しかし、静御前に最大の悲劇が起こり、源義経との間に生まれた男の子が、源頼朝の命令により命を奪われました。

その後、母である磯禅師と共に京に帰されましたが、その後の足取りは明らかではありません。

静御前はどんな人物クイズ問題

歴史の偉人クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
静御前は誰の側室でしょうか?

ヒント
この人物は、源頼朝の異母弟にあたります。
  • A.  源義経
  • B.  源義門
  • C.  源頼家
  • D.  源義朝
解答(男性)
正解はA.  源義経

 

【穴埋めクイズ問題】

静御前は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて生きた女性で、( ① )の娘として育ち、( ② )として舞や和歌を披露しました。源義経の側室として深い関係を築き、義経の逃亡生活を共にしました。1185年に義経と別れた後、鎌倉では( ③ )の尋問に耐え、義経の居場所を守り抜きました。しかし、静御前と義経の間に生まれた男の子は、( ③ )の命令により命を奪われました。その後、( ① )と共に京に戻されましたが、その後の足取りは不明です。

(  )のことばを答えてみよう!

解答(女性)
①磯禅師
②白拍子
③源頼朝

 

静御前の歴史クイズ(索引)

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