「静御前」と巴御前の関係とは?わかりやすい解説とクイズ問題
静御前と巴御前は、いずれも源平合戦時代に源義仲や源義経という武将と深い関連があった女性たちです。
しかし、二人の関係は直接的なものではなく、それぞれが異なる武将のもとで異なる役割を果たしましたが、源義仲と源義経は従兄弟の関係にあたります。
巴御前は、信濃国出身で、源義仲の愛妾(愛妾:お気に入りのめかけ)でありながら戦場でも活躍した女武将として知られています。
特に源義仲の最後の戦いである「屋島の戦い」での巴御前の活躍は有名です。
源義仲の没落後の巴御前の行方は不明ですが、尼となって過ごしたとも、義仲をとむらうために義仲寺を建てたとも言われています。
一方で、静御前は京都の白拍子としての出身で、源義経の側室となりました。
源義経と共に多くの戦いを経験し、義経が源頼朝に追われる運命となった際も、常にそばにいたとされます。
源義経の最期には、静御前は母親の磯禅師と共に鎌倉に送られ、北条政子の命令により鶴岡八幡宮で舞を披露しました。
その後、静御前は子供を産みますが、子が男児であったために命を奪われるという悲劇に見舞われました。
その後、静御前については不明な点が多く、静御前がどのように生涯を終えたのかは確かな記録が残されていません。
静御前と巴御前の関係クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
静御前と巴御前がそれぞれ深い関係をもったのは何家でしょうか?
- A. 伊東家
- B. 平家
- C. 源家
- D. 武田家
【穴埋めクイズ問題】
巴御前と静御前は、( ① )の時代に活躍した女性で、源義仲や源義経とそれぞれ深い関係にありました。また、義仲と義経は( ② )同士です。巴御前は信濃国出身の女武将として義仲の愛妾となり、義仲の最期の戦いである「屋島の戦い」で有名な活躍をしました。その後の巴御前の生涯は不明ですが、尼となったり、義仲寺を建立したとの説があります。一方、静御前は京都の白拍子出身で、義経の( ③ )となり、義経が源頼朝に追われた際も義経の側にいました。義経の最期に際して、静御前は鎌倉で舞を披露し、その後男児を出産しましたが、子が男児であったため命を奪われました。静御前のその後の生涯も不明です。
( )のことばを答えてみよう!
- 「静御前」は何をした人?
- 「静御前」の年表(生涯)
- 「静御前」はどんな人物?
- 「静御前」の死因
- 「静御前」と巴御前の関係→今ココ
- 「静御前」の墓
- 「静御前」の子供
- 「静御前」と白拍子
- 「静御前」の伝説