「静御前」の子供とは?わかりやすい解説とクイズ問題
「静御前」の子供について、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
静御前と源義経の間には一人の息子が生まれました。
この子は、静御前が鎌倉に滞在中の1186年に安達清経の家で誕生しました。
静御前と源義経の間に息子が生まれたことは、源頼朝にとって脅威であったため、生まれたばかりの赤子は由比ヶ浜で命を落とすことになりました。
しかし、異なる伝承によれば、北条政子の計らいによってこの子は密かに命を救われ、佐々木四郎高綱の養子として育てられたという説もあります。
そして、朝廷から奥州閉伊郡(岩手県にあった郡)を授けられ、佐々木義高としてその地の領主になったとされています。
また、岩手県宮古市田鎖に伝わる話によると、源義経と静御前の子は生き延びて代々子孫を残したと言われています。
その子孫が住む地域の郷土芸能「箱石こうきりこ」は、静御前が伝えた踊りであり、静御前が息子に再会した時の心情を表したものとされています。
静御前の子供クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
静御前と源義経の間に産まれた子供は誰によって命を奪われたでしょうか?
静御前と源義経の間に生まれた息子は、この人物にとって脅威であったため、由比ヶ浜で命を落としました。
- A. 源朝長
- B. 源頼朝
- C. 源頼家
- D. 北条政子
正解はB. 源頼朝
【穴埋めクイズ問題】
静御前と源義経の間に生まれた息子は、1186年に鎌倉の( ① )の家で誕生しました。静御前と義経の息子を脅威と思った源頼朝の命令で、二人の子供は( ② )で殺されました。しかし、北条政子の助力により生き延び、佐々木四郎高綱の養子として育てられたという説もあります。そして、後に( ③ )として奥州閉伊郡の領主になったと伝えられます。また、岩手県宮古市田鎖に残る伝承では、静御前と源義経の間に生まれた息子は生き延び、子孫を残したとされています。その地の郷土芸能「箱石こうきりこ」は静御前が息子に再会した際の心情が表現された踊りと言われています。
( )のことばを答えてみよう!
①安達清経
②由比ヶ浜
③佐々木義高
静御前の歴史クイズ(索引)
- 「静御前」は何をした人?
- 「静御前」の年表(生涯)
- 「静御前」はどんな人物?
- 「静御前」の死因
- 「静御前」と巴御前の関係
- 「静御前」の墓
- 「静御前」の子供→今ココ
- 「静御前」と白拍子
- 「静御前」の伝説