「静御前」と白拍子とは?わかりやすい解説とクイズ問題


静御前は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した白拍子です。
白拍子は、元々神事や儀式での舞いを行う遊女で、特に「今様」と呼ばれる歌を謡いながら舞うことで知られています。
また、立烏帽子と水干を身に着け、太刀をはく男装の姿で舞を披露するのが特徴です。
静御前はその中でも特に名高い存在で、源義経との深い関係でよく知られています。
静御前は、磯禅師という白拍子の娘として生まれ、母から舞の技術を受け継ぎました。
静御前は、源義経の側室としても知られ、義経と共に多くの逃避行を経て、最終的には鎌倉で源頼朝の前で舞を披露しました。
その際には、源義経への忠誠と愛を歌に託し、見る人々を感動させましたが、源頼朝の怒りを買うこととなりました。
室町時代初頭に書かれた「義経記」には、後白河法皇が雨乞いの儀式で100人の白拍子を舞わせたというエピソードがあります。
100人目に静御前が舞うと3日間雨が降り続き、後白河法皇から日本一と称されたと記されています。
静御前と白拍子クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
静御前はどのような気持ちを歌に託して源頼朝の前で舞ったでしょうか?

- A. 息子への愛と希望
- B. 源頼朝への怒りと恨み
- C. 源義経への忠誠と愛
- D. 母・磯禅師への感謝と忠誠
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【穴埋めクイズ問題】
静御前は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した名高い白拍子で、源義経の側室としても知られています。白拍子としては、「( ① )」と呼ばれる歌を謡いながら舞うスタイルで特に有名です。さらに、立烏帽子と水干を身に着けた男装の姿で舞を披露することも特徴です。静御前は母である( ② )から舞の技術を受け継ぎ、その才能で多くの人々を感動させましたが、( ③ )の前で義経への忠誠と愛を歌に託したことで、( ③ )の怒りを買うことになりました。また、「義経記」に記される後白河法皇の雨乞いの儀式での功績から、後白河法皇により日本一の白拍子と称されたことも記録されています。
( )のことばを答えてみよう!
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- 「静御前」は何をした人?
- 「静御前」の年表(生涯)
- 「静御前」はどんな人物?
- 「静御前」の死因
- 「静御前」と巴御前の関係
- 「静御前」の墓
- 「静御前」の子供
- 「静御前」と白拍子→今ココ
- 「静御前」の伝説