「平清盛」の政治とは?わかりやすい解説とクイズ問題
平清盛の政治は、多面的な経済基盤と独自の政策によって特徴付けられます。
平清盛によって樹立された日本初の武家政権は平氏政権といわれます。
この政権は、白河・鳥羽の両院政との協力関係の下、武門(武門:武士の家系)としての力を急速に伸ばし、保元・平治の両内乱を経て、源氏を抑え、国政を動かす主要な勢力となりました。
平清盛は、1167年に太政大臣に任命され、武士がこのような高位に就くのは史上初の出来事でした。
この昇進は、後白河法皇の信任を背景に、平氏一族が朝廷での重要な地位を独占することを可能にしました。
政治権力を確立する過程で、平清盛は藤原氏が以前に用いた外戚政策(外戚政策:天皇の母方の祖父となることで権力をふるう政策)を採用し、自身の娘を高倉天皇の后にし、その二人の子どもである安徳天皇が即位することで外戚となりました。
これにより、平清盛は天皇家との繋がりを深め、その権威を一層高めることに成功しました。
経済的には、平清盛は知行国と荘園(荘園:大きな寺院や神社. 貴族がその財力で新しく開墾した土地のこと)からの収入に加え、日宋貿易を重要な収入源としていました。
特に、摂津の大輪田泊を中心とした日宋貿易は、大量の宋銭(宋銭:国の宋代に鋳造された銭貨)を日本にもたらし、国内経済に大きな影響を与えました。
この貿易による富は、平氏政権の経済基盤を強化する重要な要素となりました。
しかし、平清盛の政治は反対勢力の存在も招きました。
特に後白河法皇との関係は、鹿ケ谷の陰謀や法皇の幽閉(幽閉:ある場所に閉じこめて外に出さないこと)といった事件を経て次第に悪化し、平氏と院政勢力との間に深刻な対立が生まれました。
この対立は、最終的に平氏の権力基盤を揺るがすこととなり、源氏との戦いへと繋がっていきました。
平清盛の政治クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
平清盛によって樹立された日本初の武家政権は何というでしょうか?
- A. 左派政権
- B. 平氏政権
- C. 汪兆銘政権
- D. 源氏政権
【穴埋めクイズ問題】
平清盛の政治活動は、日本初の武家政権である( ① )の樹立とそれを支える経済基盤の確立に焦点を当てていました。1167年に太政大臣に就任した清盛は、後白河法皇の支持を得て、平氏一族が朝廷で重要な地位を占めるようになりました。政治的には、藤原氏の( ② )を取り入れ、自らの娘を高倉天皇の中宮に送り込むことで天皇家との繋がりを強化し、その影響力を拡大しました。経済面では、知行国と荘園からの収益に加え、( ③ )を通じて大量の宋銭を輸入し、国内経済に貢献しました。しかし、このような政治は後白河法皇との関係悪化を招き、結果として平氏と院政勢力との間の対立を深め、最終的には源氏との戦いに繋がりました。
( )のことばを答えてみよう!
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