「徳川秀忠」の家系図とは?わかりやすい解説とクイズ問題
徳川秀忠は、1579年に遠江国、浜松で徳川家康と西郷局の間に生まれました。
母である西郷局は徳川家康の側室で、西郷義勝の死後に徳川家康に迎えられました。
徳川秀忠は豊臣秀吉の養女である小姫と結婚しましたが、後に離縁しました。
その後、再び豊臣秀吉の養女であるお江と結婚し、お江を正室としました。
正室のお江は浅井長政の末娘で、織田信長の保護下で育ち、その後豊臣秀吉に引き取られました。
徳川秀忠とお江の間には2人の男子と5人の女子が誕生しました。
長男の徳川家光は江戸幕府第3代将軍となりました。
徳川忠長は徳川秀忠の次男で、徳川家光の唯一の兄弟であり、駿河大納言という通称で知られました。
長女の千姫は豊臣秀頼と結婚し、次女の珠姫は前田利家の息子である前田利常の正室となりました。
三女の勝姫は松平忠直に、四女の初姫は京極忠高の正室に、五女の和姫は後水尾天皇に入内(入内:皇后、中宮、女御となる女性が正式な手続きにより内裏の一員になること)しました。
また、保科正之は徳川秀忠と秀忠の乳母(乳母:母に代わって、子を育てる女性)である大姥局の侍女、お静の間に生まれ、初代高遠藩主保科正光の養子となりました。
徳川秀忠の家系図からは、徳川家康と豊臣秀吉、織田信長など、当時の日本を動かす大きな力を持つ家族間の結びつきもあらわしています。
名前 | 関係 | 説明 |
---|---|---|
徳川秀忠 | 本人 | 江戸幕府第2代征夷大将軍 |
西郷局 | 母 | 徳川家康の側室。通称「お愛の方」 |
徳川家康 | 父 | 江戸幕府初代征夷大将軍 |
お江 | 正室 | 徳川秀忠の正室。浅井長政の末娘で、織田信長の妹「お市の方」の子ども |
小姫 | 元配偶者 | 織田信雄の娘で、豊臣秀吉の養女。徳川秀忠と離縁 |
千姫 | 長女 | 豊臣秀頼と結婚し、その後本多忠刻の正室となる |
珠姫 | 次女 | 前田利家の息子・前田利常の正室 |
勝姫 | 三女 | 松平忠直に嫁ぐ |
初姫 | 四女 | 江の姉・初の養女となり、京極忠高の正室となる |
和姫 | 五女 | 後水尾天皇に入内 |
徳川家光 | 長男 | 江戸幕府第3代征夷大将軍、徳川秀忠と江の間の子 |
徳川忠長 | 次男 | 松平忠長は徳川家光の弟、駿河大納言として知られる |
保科正之 | 子 | 徳川秀忠と秀忠の乳母である大姥局の侍女、お静の間に生まれ、初代高遠藩主保科正光の養子となる |
徳川秀忠の家系図クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
徳川秀忠とお江の間に産まれた長男は誰でしょうか?
- A. 徳川家綱
- B. 松平忠長
- C. 徳川家光
- D. 徳川綱吉
【穴埋めクイズ問題】
徳川秀忠は1579年、遠江国浜松で徳川家康と西郷局の子として生まれました。豊臣秀吉の養女である( ① )とは結婚後に離縁し、その後、再び秀吉の養女であるお江と結婚しました。お江は浅井長政の末娘で、織田信長の保護下で育ちました。秀忠とお江の間には2人の男子と5人の女子が誕生しました。長男の徳川家光は江戸幕府第3代将軍に、次男の徳川( ② )は駿河大納言として知られました。長女の( ③ )は豊臣秀頼と結婚し、次女の珠姫は前田利常の正室、三女の勝姫は松平忠直の妻になりました。四女の初姫は京極忠高の正室、五女の和姫は後水尾天皇に入内しました。保科正之は秀忠と秀忠の乳母である大姥局の侍女、お静の間に生まれ、高遠藩主保科正光の養子となりました。
( )のことばを答えてみよう!
- 「徳川秀忠」は何をした人?
- 「徳川秀忠」の年表(生涯)
- 「徳川秀忠」はどんな人物?
- 「徳川秀忠」の側室
- 「徳川秀忠」の母
- 「徳川秀忠」の死因
- 「徳川秀忠」の家系図→今ココ
- 「徳川秀忠」とお江の関係
- 「徳川秀忠」の長女
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