「北条政子」の墓とは?わかりやすい解説とクイズ問題
北条政子は1225年にこの世を去り、勝長寿院で火葬された後、その遺骨は寿福寺の境内裏手にある墓地のやぐらに納められた五輪塔に安置されたとのことです。
寿福寺の墓地には、北条政子だけでなく、政子の次男で鎌倉幕府第三代将軍である源実朝の墓と伝えられる五輪塔も存在します。
源実朝の五輪塔が安置されているやぐらは、「唐草やぐら」や「えかきやぐら」と呼ばれることもあります。
その由来は、源実朝の五輪塔が置かれているやぐらに牡丹唐草の模様が彩色されていたためです。
これらの五輪塔は、鎌倉末期から南北朝時代初期にかけてのものとされており、供養のために建立されたものである可能性が高いとされています。
元々北条政子と源実朝の二人は勝長寿院に葬られましたが、勝長寿院が廃寺となった後、寿福寺に五輪塔が建てられたと考えられています。
また、寿福寺は北条政子が創建した寺院で、鎌倉五山の第三位に数えられる重要な寺です。
寿福寺は源頼朝の落馬死の後、頼朝の菩提(菩提: 死後の冥福)をとむらうために1200年に建立されました。
この地は源頼義が奥州征伐の際に勝利を祈願したとされる場所であり、また源頼朝の父である源義朝の居館があった場所でもあります。
北条政子の墓クイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
北条政子の墓とされている五輪塔が建てられた寺はどれでしょうか?
- A. 寿福寺
- B. 宝戒寺
- C. 乗蓮寺
- D. 北條寺
【穴埋めクイズ問題】
北条政子は1225年に亡くなり、( ① )で火葬された後、遺骨は政子自らが創建した( ② )の墓地にある五輪塔に納められたとされています。この五輪塔は源頼朝の菩提をとむらうために1200年に建立された寺院内にあり、源義朝の居館があった場所に位置しています。また、( ② )の墓地には政子の次男である( ③ )の五輪塔もあり、この二つの五輪塔は供養のために建立されたと考えられています。( ① )が廃寺になった後に( ② )に五輪塔が建てられたといわれています。
( )のことばを答えてみよう!