「楠木正成」と桜井の別れとは?わかりやすい解説とクイズ問題
「楠木正成」と桜井の別れについて、わかりやすく解説をのせてるよ。解説を読んだあとには、どの程度理解できたかチェックするために4択クイズと穴埋めクイズに挑戦してみよう♪
楠木正成とその息子、楠木正行との「桜井の別れ」は、日本の歴史において感動的な一節として語り継がれています。
楠木正成は、河内国赤坂に生まれ、鎌倉幕府の打倒に貢献した後、後醍醐天皇の命を受けて足利尊氏の反乱に立ち向かいました。
この歴史的な背景の中で、1336年に楠木正成は、桜井の地で、息子の楠木正行に国や家、後醍醐天皇の事を託し、別れを告げました。
この出来事は、「太平記」に記録され、「桜井の別れ」として知られ、能や歌舞伎、唱歌など多岐にわたる文化の中で語られています。
この地点には、楠木正成が旗を立てたとされる旗立て松や手水鉢が残され、国の史跡に指定され、碑文が数多く建立されています。
明治天皇が詠んだ歌を刻んだ「明治天皇御製」碑もあり、この歌は、明治天皇がこの地を訪れた際に詠んだもので、楠木正成と楠木正行の別れを偲ぶ内容が込められています。
楠木正成と桜井の別れクイズ問題
【4択クイズ問題】
Q
「桜井の別れ」が起こった年は何年ですか?
楠木正成が後醍醐天皇のために足利尊氏と戦う前に、息子と別れを告げた出来事で、この出来事は、南北朝時代の初期にあたります。
- A. 1279年
- B. 1336年
- C. 1380年
- D. 1465年
正解はB. 1336年
【穴埋めクイズ問題】
楠木正成は、大阪府の河内国赤坂出身で、鎌倉幕府の倒壊に貢献した後、後醍醐天皇の命に従い足利尊氏の反乱に抗いました。1336年、正成は桜井で息子の楠木正行と別れ、( ① )と家と後醍醐天皇を託しました。この感動的な別れは「太平記」に記録され、「( ② )」として文化的にも語り継がれています。現地には、( ③ )や手水鉢が残り、多くの碑文が建立されており、国の史跡として指定されています。その中には、明治天皇が詠んだ歌を刻んだ碑もあり、正成と正行の別れを偲んでいます。
( )のことばを答えてみよう!
①国
②桜井の別れ
③旗立て松
楠木正成の歴史クイズ(索引)
- 「楠木正成」は何をした人?
- 「楠木正成」の年表(生涯)
- 「楠木正成」はどんな人物?
- 「楠木正成」の子孫(家系図)
- 「楠木正成」の有名な戦い
- 「楠木正成」の名言
- 「楠木正成」は悪党?
- 「楠木正成」の銅像
- 「楠木正成」と桜井の別れ→今ココ